穂高神社(1) 泉小太郎スポット
そろそろまた再開していこうと思います。
泉小太郎に興味を持つと 安曇野や松本平にさまざまな関連地があります。
それを紹介していきますね。
毎日少しずつ増やしていく予定です。
穂高神社
穂高神社ホームページより
穂高見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そして奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています。穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。
穂高神社には次の像と碑があります。
穂高神社 ホームページ
穂高神社の主祭神は穂高見命とありますが、これが仁科濫觴記的には
保高見熱躬なのではないかと推定されます。
仁科濫觴記はこの地区の神社に関連すると思われる登場人物が多く出てきます。
それをもってして史実、フィクションなどといった議論をするつもりもないのですが
仁科濫觴記的な観点から解釈をしてみようと思います。
まず仁科濫觴記では垂仁天皇の末弟にあたる「仁品王(にほんおう)」が
(安曇の古代の作者である仁科宗一郎氏はにほんおうと読むとしました。)
安曇野から大町にかけての開拓のために、この安曇野に訪れたとあります。
その重臣として登場するのが保高見熱躬です。
保高見熱躬とはどのような人物だったのでしょうか。
名前から類推すると海神(わたつみ)族との関連である「保高見」を冠した
「熱躬(あつみ)」は安曇族の族長といった解釈ができるのでしょうか。
仁科濫觴記内では保高見熱躬は仁品王とともにこの安曇野の地にきており
のちに仁品王の行いを朝廷(のようなもの)に訴えたりしていますので
おそらく中央集権内にいたものではないかと思います。
ですから
仁品王がこの地に来る前からこの地にいた豪族なのか
あるいは仁品王がこの地に来てから栄えた豪族なのかといわれれば
おそらくこの地に来てから栄えた豪族であったと考えられます
仁品王と保高見熱躬はのちのち政策の違いにより
関係を決裂させるのですが
保高見熱躬側についたと思われるのが
泉小太郎のモデルとおもわれる
「あまのひかる」です。
につづく
関連記事