検索 信玄堤2 <泉小太郎伝説の実際(38)>

泉小太郎研究家

2022年03月13日 08:30

『信玄堤』(ウィキペディア)

『(中略)天文11年(1542年)6月に信虎を追放し国主となった晴信期の初期には信濃侵攻を本格化している。川除工事の開始時期は不明であるが、『明治以前日本土木史』では信濃侵攻と平行して天文11年に堤防築造が着工したとされている。一方で、川除場で行われる夏御幸の開始時期が弘治年間(1555年 - 1558年)であることから、弘治年間までには着工されていたとする説もある』

戦国時代の名治水として知られる「信玄堤」
それまで、毎年のように氾濫していた川がこの「信玄堤」の完成とともに氾濫が見事に治まったといいます。
その「信玄堤」が「天文11年」に「信濃侵攻」と同時期に着工が始まったというのです。

あの「天文年間」です。

もうおわかりかと思いますが、僕の推論はこうです。
『「信州の民、および、ひかるの民」は武田軍に「乱妨取り(ひとさらい)」され、甲斐に連れてこられた。そして、国土開発のため信玄によって使役され、「信玄堤」を築いた。』

時代は全く合致します。状況も合致します。

そしてその信玄堤のある地は、その名も「竜王」

このことに気が付いてから、いてもたってもいられなくなり
「竜王」に向かいました。


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