検索 農具川2<泉小太郎伝説の実際(76)>
池田町の県道を走りながら東の山麓を望むと、高瀬川(農具川も含めて)の水位からずっと高地まで水田が広がっていることが見渡せます。ほぼ山の中腹まで水田が広がっているのですが、車で初めてこの場所を通った時に違和感を感じました。
「どのように水をあの高い位置まであげたのだろう」と不思議に思わずにはいられませんでした。
この高い水田地、どこから水をひいているのだろうとグーグルマップでしらべてみると
水路はずっと北の位置の農具川から取水されていることを発見します。
しかもある高さで山腹をほぼ真っ直ぐ、横一直線に水道が貫いていくのです。
この水路を一度サイクリングか ウォーキングで辿ってみたいという思いもあるのですが
コロナのため、まだ出来ていません。
非常に美しい古道もしくは古水道があるのではと思っています。
(観光資源としてもいいのではないかと思います。)
ある時、山腹にほぼ等高線にそって流れる水路を探るべく
車で辿れるところを何度か辿ってみました。
するとそこで仁科神明宮を発見したのです。
仁科神明宮マップ
以前から国宝仁科神明宮という看板は見ていましたが
その頃は歴史や神社などにも興味はありませんでしたから何気なしにみていました。
しかし農業用水路(どちらかといえば農業のほうに興味がありましたので)を
めぐるなかで農具川の支流である水路沿いに仁科神明宮を発見しました。
仁科神明宮のすぐ近くを流れる農具川水系取水の水路
その後、泉小太郎伝説を探るなかで川会神社に辿り着き
「川会」の川は 高瀬川とこの農業用水路に過ぎない農具川との合流地点という
ことを知った後は にわかに農具川に重大な内容が隠されていると感じられることと
なりました。
ひょっとすると
仁科神明宮も川会神社も 農業用水路の開拓時に創立された可能性があるのではないか。
そして、それはこの地の開発の祈念とともに、川のメンテナンスのために作られた神社では
ないかと考えられるのです。
この農具川の流域こそが
仁科濫觴記に書かれた「仁品王」が「九頭子」に命じた
開発計画の主要な計画ではなかったかとおもわれるのです。
仁品王が館を構え、中心地とした場所と農具川の水系を考えれば
非常にあり得る仮説だと思うのですがいかがでしょうか。
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