検索 田沢神明宮1 <泉小太郎伝説の実際(17)>

泉小太郎研究家

2022年02月22日 06:21

光城山の麓で発見した田沢神明宮

立てかけられた由緒書には泉小太郎創建とあります。


マップ 田沢神明宮

泉小太郎が祀られているのではなく
泉小太郎が創建としているところにも
この神社の重要さを感じます。

「日光泉小太郎」が江戸時代以降、日光東照宮にひきずられて
どう読んでも「にっこういずみこたろう」としか
読めなくなってしまっていますが
泉小太郎の本名が「ひかる」であったのを解き明かしたのは仁科濫觴記のみであり
それを読み解いた「安曇の古代」著者 仁科宗一郎さんであるのです。

その「ひかる」の名の「光城山(ひかるじょうやま)」の麓に
この 泉小太郎が創建したという「田沢神明宮」はあるのです。

ただ、ここに至っても泉小太郎氏が「ひかる」という名前だったことを書いてある文章はなく、(光城山のふもとにあるにも関わらずです)ひょっとして、ネットでは(ウィキペディアでは、あるいは仁科濫觴記研究者では)よく知られた話でも、他の人はまったく知らない事実なのかもしれないです(だとすると信府統記の悪影響ですが)

いちどこの地のかたと話す機会がありましたが
「光」と書いて「ひかり」ではなく「ひかる」と読むことに違和感を感じていました
この地の名は、たしかに豊科光(とよしなひかる)と明科光(あかしなひかる)に
別れていますが、今の地番になる前は、この地は「光」(ひかる)でした。

この「ひかる」問題は早めに是正すべき問題だと思います。「信府統記」および伝承で「あまのひかる」という名前が、中世的な「日光泉小太郎」という名前になってしまい、しかもあまりに有名な「日光(にっこう)東照宮」が、あったため、当の「光」地区に住む人、あるいはその地番所有の豊科町、明科町でさえ、ひかるの名前の由来が 白水郎日光(あまのひかる)なのだということを知らないのです。




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