検索 田沢神明宮4 <泉小太郎伝説の実際(20)>
「天の磐舟をつくったら、石の舟に変ぜり」とありますが、磐舟も石舟も同じもので「変化」とは言いにくく「変ぜり」という表現がおかしい。おそらくもっと長い文章が要約されたときに取り違いが起きたのではないかと考えました。
とにかく穴をうがちとあるからよく石を観察してみると岩の先端のほうに、あきらかに切り取られたような跡だと思う痕跡がある。
岩の先端だけ盗むって?どういうこと?って思いますよね。この時点での僕の想像は、おそらくこの岩の先端には、印象的な何かがあったのではないかと推察したわけです。でないと盗むとは思えない。
となればますます、土木機具として使われていた「犀」なのではないかと考えました。つまり犀龍とは、古代の土木機具。しかも治水開発部隊、白水郎のつかっていた道具ではないかと。。。
ここへきてこの磐舟の想像図。
さて、ここまでわかったらあともう少しです。
ここにある石碑の情報も、由緒書きもかなり細かい情報が書かれています。由緒書きには、「景行天皇十二年九月十六日創立」とありますし船石の説明にも「天文年間」と具体的な年代がわかる内容の言葉があります。
この文章にはまず間違いなく、もととなる古文書が存在しているはずです。でないとこんなに細かい情報は書けない。となると僕の進む先は、この光城山がある「豊科」にある「豊科図書館」です。
豊科町史を開けば、この神社の由緒が見つかるかもしれない。そう思い豊科図書館に向かったのです。
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