検索 仁科濫觴記1 <泉小太郎伝説の実際(5)>
検索「仁科濫觴記」(にしならんしょうき)
『仁科濫觴記 (ウィキペディアより)』
『仁科濫觴記(にしならんしょうき)は、崇神天皇の時代から弘仁までのおよそ1000年間における、古代の仁科氏の歴史。信濃国(長野県)安曇平の歴史や、地名の起こりに加え、部分的に中央政権の動向にも触れられている。著者は不明で、制作年代も平安時代初期に始まり江戸時代の完成になると考えられている。
この地域の記録としても知られる信府統記が、おとぎ話的な要素を多く含み、事件の背景年代もあいまいであるのに対し、あくまでも人間の歴史として時間軸に置いて記述しようとしている態度が一貫しており、また不確実な情報を極力少なくしようとしている点が、記録の信憑性を高めている、と考えられている。創作童話「たつのたろう」のモデルとなった民話の一つ泉小太郎伝説や、八面大王伝説など、松本・安曇平に伝わる伝承の元となった「史実」に触れることができる。』
とあります。
仁科濫觴記は 仁科宗一郎氏の著書『安曇の古代』に全文がのっており、その中で丁寧に検証されています。
さらにその検証の中で、仁科氏は山中で古墳も発見しています。名著ですので手に取る機会がありましたら
是非読んでみてください。
さて
この仁科濫觴記は、安曇野の北にあたる大町にいた豪族「仁科氏」のおこり(濫觴)を記録したもので大町にある国宝「仁科神明宮」にも関連のある一族の記録です。
国宝 仁科神明宮
仁科濫觴記(にしならんしょうき)には、この仁科神明宮の由来のほか、大町の歴史、穂高神社の創立、古代の政権交代の様子、ヤマトタケル東征の報を受けたこの地の対応の様子、仏教の伝来、八面大王伝説のもとになる説話、坂上田村麿伝説のもとになる説話、鼠族伝説の元になる説話など、この地方では各地に残る民話、伝説の元ネタになる説話の数々が記録されています。そのなかでも、「治水」に関する記述は重要なことであったのか、仁科濫觴記の冒頭からはじまり、その中で「泉小太郎」のモデルとなった人物が語られます。
仁科濫觴記の現代語訳 全文は下記のブログを参照ください
(球わかば さん よく晴れた雨の日に。現代語訳『仁科濫觴記』(全文))
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次は
こちら
関連記事