検索 田沢神明宮縁起1 <泉小太郎伝説の実際(22)>
田沢神明宮縁起
明和八年 1782年に書かれており、信府統記編纂から約半世紀たったころ江戸中期に編纂されています。僕の予想では仁科濫觴記くらいの古い時代のものを想定していたため少し拍子抜けしました。なぜなら神明宮にあった由緒書きには景行天皇(3~4世紀?古墳時代の天皇)12年9月16日という明確な古代の日付があったので、少なくとも平安、鎌倉くらいの伝書があるのではと思っていたのです。
そして、読んでみると、まるで信府統記を丸写しした泉小太郎伝説を主軸に戸隠神社や日光東照宮まで現れるトンデモ本ならぬでたらめ由緒で、江戸時代に流行でつくられた縁起でした。この地方にある泉小太郎、坂上田村麻呂の伝承の寺社の由緒はほぼ、信府統記ののちにつくられたものと思われ、由緒をつくるのが流行ったの?とおもったり、その頃が一般の人々が十分文筆ができる豊かな文化が生まれてきたの?と思ったり。
なんども目にした泉小太郎伝説に辟易しながら読み進むと、しかし!この田沢神明宮にしかない本当の縁起を垣間見られる箇所がちりばめられているのがわかるのです。
おそらく、この縁起の作者はこの神明宮に伝わる数少ないこま切れの伝聞を、知っていること(信府統記などの他の歴史書など)を引用したりして膨らませてまとめてしまったためこのような由緒になったと思われます。
このこま切れの伝聞から推察できるこの神明宮の歴史を紐解いてみましょう。
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