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泉小太郎研究家

2022年05月19日 18:39

山清路マップ

民話では泉小太郎が犀龍に乗り堤の縁を突き破ったされる山清路です。
犀川の要所で右岸と左岸の崖が接近しており、川の狭さという点では最も狭い場所と言っていいかと思います。

ウィキペディアも参照してみましょう。

山清路 ウィキペディアより
飛騨山脈(北アルプス)を水源とする犀川は、松本盆地を過ぎて長野盆地へと至る間、蛇行を繰り返しながら深い峡谷を成す。犀川は生坂村にて支流の金熊川(かなくまがわ)と麻績川(おみがわ)を合流させており、このあたり延長1キロメートルの区間が名勝・山清路とされている。
地名の由来は諸説あり、『角川日本地名大辞典』によれば、犀川・金熊川・麻績川という三川(三つの川)が交わる所からだとか、「山清寺」という名の寺にちなむともいう。また、『安曇の古代』の著者・仁科宗一郎は『仁科濫觴記』の記述から、古代に治水のための工事(=山征)が行われた場所、すなわち「山征地」から来たと推察している

うっすらとした過去の記憶では、このウィキペディアの記事が仁科濫觴記との最初の出会いだったと記憶しています。この記事を見て、仁科濫觴記を手に入れたことから新たな発見にあふれる旅につながりました。
ただあえて言うならこの記事は少し間違っていて、仁科宗一郎さんは「仁科濫觴記」にある「山征地」は、今ある山清路に比定されると述べているに過ぎません。
仁科宗一郎さん自体は、この山清路は「岸壁を壊すには古代の技術では厳しいほど硬いこと」「下流から岸壁を壊したなら当然発生する巨石等のガレキ等が見つからない」「そもそも、この上流域からは縄文時代からの生活遺跡が発見されているため、水位は今と縄文時代とそれほどかわらない」という論拠から、ここを切り開いて湖を水田にした説にはかなり懐疑的であります。
仁科宗一郎さんらしい納得感あふれる解説です。




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