2022年05月20日
検索 泉小太郎の開発地域 3<泉小太郎伝説の実際(91)>
僕の感覚では、この山清路は、「田沢神明宮」「光城山」あるいは「川会神社」、はたまた大町からはあまりに遠過ぎることと、開発計画としては、得られる利益が薄すぎるという印象を受けます。

さらには、ここを切り開いて安曇野の水を流したとするのなら、この川の入り口である明科のあたりとの標高差を考えると高さにして30mから50mほども掘削したことになります。「広さを広げる」のではなく「深く掘る」んです。川の深さを30m掘り進めるなんていう行為は現在の技術をもってしても無計画です。しかも川を。あり得ません。こんな開発計画を立てたとしたら、即刻クビでしょう。
ですから「山清路」はウィキペディアの記載にもあったように
「犀川・金熊川・麻績川という三川(三つの川)が交わる所」からだとか「「山清寺」という名の寺にちなむともいう。」が正しくて仁科濫觴記にある「山征地」とは別の由来だと考えます。
山清路は確かに切り立った岸壁と貫かれる犀川が印象的な景勝地で、人々の「龍がつきやぶった」というロマンあふれる想像をかきたててはくれますが、泉小太郎こと「ひかるくん」が開発した「山征地」とは違うと思うのです。
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さらには、ここを切り開いて安曇野の水を流したとするのなら、この川の入り口である明科のあたりとの標高差を考えると高さにして30mから50mほども掘削したことになります。「広さを広げる」のではなく「深く掘る」んです。川の深さを30m掘り進めるなんていう行為は現在の技術をもってしても無計画です。しかも川を。あり得ません。こんな開発計画を立てたとしたら、即刻クビでしょう。
ですから「山清路」はウィキペディアの記載にもあったように
「犀川・金熊川・麻績川という三川(三つの川)が交わる所」からだとか「「山清寺」という名の寺にちなむともいう。」が正しくて仁科濫觴記にある「山征地」とは別の由来だと考えます。
山清路は確かに切り立った岸壁と貫かれる犀川が印象的な景勝地で、人々の「龍がつきやぶった」というロマンあふれる想像をかきたててはくれますが、泉小太郎こと「ひかるくん」が開発した「山征地」とは違うと思うのです。
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Posted by 泉小太郎研究家 at 20:38│Comments(0)
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