検索 光城山(ひかるじょうやま)1 <泉小太郎伝説の実際(15)>
「犀型の巨石」あるいは「角型の巨石」の検索はうまくいきませんでした。
各地に巨石はあるもののそれと思うものがないのです。
僕は犀型の巨石の探索をあきらめ別の方向から攻めることにしました。
仁科濫觴記では、泉小太郎の名を「日光」(ひかる)としていました。
信府統記でも「日光泉小太郎」としています。
おそらく、江戸時代には「日光」と書いて「にっこう」としか
音読されていなかったと考えられますが
「日光泉小太郎」の本当の名は
「ひかるくん」であると述べました。 (
検索 仁科濫觴記 2 参照)
さて
「ひかる」という名前を聞いて、この地区に住む人ならピンとくる地名がひとつあります。
それが「光城山」(ひかるじょうやま)です。
『光城山』 (ウィキペディアより)
『光城山(ひかるじょうやま)は、長野県安曇野市豊科にある山である。標高911.7m。鎌倉時代に海野氏の支族が築いた光城(仁場城)に由来。山頂には、車でも行くことができる。豊科光からの登山道は桜が植えられている。』
とあり、確かに桜の名所ともなっているハイキングにはもってこいの場所です。光城山からの風景です。
光城山 マップ
僕は、「ひかる」という名前を知ってから、この山の名前の由来をネット上で調べましたが
「海野氏の系譜のなかで、このあたりは光氏が治めていた。そこから、光城山となった」というものが発見されました。
でも、この説明には僕は違和感を感じていました。「光山という名前が元からあって、そこを治めたのでそこから名前をとって光氏にした」のではないかと考えたからです。
実際にさらに調べてみると、海野氏はさかのぼること平安の時代からある氏族で、鎌倉時代に支族として「幸氏(ゆきし)」が分岐して、そのまた支族として6人兄弟が生まれ、長男は幸氏を継ぎ、残りの五人はそれぞれもともと松本、安曇野地区にあった地名をとり、会田氏、塔原氏、田沢氏、刈屋原氏、光氏と分枝するとありました
やはり「ひかる」自体の名がもともとあり、そこに来た海野一族が、光氏と名乗ったというのが正解だということがわかります。
「ひかる」の名を知った瞬間、ここに運命の何かを感じ高鳴る胸を抱きます。僕はいてもたってもいられず、すぐに光城山に向かいました。
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