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2023年05月13日

田沢神明宮 (6) 泉小太郎スポット

田沢神明宮 岩舟

この岩舟はこの田沢神明宮の信仰の中心の一つだったと考えられます

田沢神明宮の縁起においては犀の神原にあり
信仰されていたとともに
おそらく現在のお船祭りの原型ともいわれる祭祀が
行われていたと思われます

また信府統記的な視点でいえば
これが犀龍の原型であり

龍の神威の象徴であるとも言えます

どうやら中世にもこの岩舟に対しては
信仰があったらしく

そこにあいた穴に溜まった水は
目の病気を治す神水として扱われたという
民話もあります。




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2023年05月13日

田沢神明宮 (5) 泉小太郎スポット

この岩舟の使用法は、主に地固めに使われたのではないかと考えます。

そしてその名残がお船祭りのお船の曳航ではないかと考えています。

お船祭りといえば穂高神社のお船祭りが有名です
 
お船まつりの動画↓


【長野県】海なし県・長野県安曇野市で行われる荒々しい船のお祭り|ソーシャルイノベーションニュース

この動画でも解説されますが
お船祭りは安曇族が海洋部族であった時の名残りだという
海野ロマンに乗せた解説がされることが多いですが

実はそれは少し違うのではないかと推察されます。

なぜならこの地区にはお船祭りが数多くあり、
その分布を調べた豊科の郷土博物館の展示によると

豊科郷土博物館

長野県安曇野市豊科4289−8





そこの展示ですが
岩舟の分布は見事に川に沿っていることがわかります





つまりお船祭りは川の祭りで
おそらくはこの田沢神明宮の岩舟の地固めの川除祭りが
そのはじまりではないかと思うのです。


ただし。
古代の海洋部族は 農耕開発部族とも同義であり
海洋部族が持ち込んだものが岩舟信仰であった可能性も高く

やはり岩舟の存在そのものが海洋部族の存在の証明になる可能性も高い
と考えています

さらに、天照信仰(神明信仰)は
国家神道になる前は
農耕神信仰であったとともに
岩舟信仰信仰であり
海洋信仰であった可能性も高いとも考えています

この辺はまだまだ研究段階ですので
ご存知のかたは教えていただければ幸いです。


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タグ :泉小太郎


Posted by 泉小太郎研究家 at 05:00Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月12日

田沢神明宮(4)泉小太郎スポット

田沢神明宮 岩舟
この岩舟は先端部がかけていると思われます

もともとは犀のような形であったのではないかとかんがえています。


わたしはこれを古代の土木器具と考えており

泉小太郎の「犀龍」に乗って 堤を破り
田畑をつくったという伝説はこの岩舟から来ていると考えています




私の考えではこれこそが

泉小太郎の龍だとおもっているのです。

さてこの岩舟ですが田沢神明宮の縁起の中にも
新田開発なり整備なりに使用されたと思われる
一節があります。

「犀の神原に船石があり小田を打ち績んだ」

より



おそらくこの岩舟は田んぼの畦などを修復や開拓するために
つかわれたのではないかと考えています。




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2023年05月10日

田沢神明宮 (3) 泉小太郎スポット


田沢神明宮は
神明宮とあるように
祀られている神様は天照大神となります

この天照大神がどの時代からのものに
由来するかは不明ですが
岩舟信仰とともにある天照信仰のため
案外古い時代のものかもしれません。

その岩舟は鳥居そばにあります


田沢神明宮 岩舟



この岩舟は天照の乗ってきた船とされていますが
私は農耕開発時に使われた土木具だと考えています。

つづく


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につづく  


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2023年05月09日

田沢神明宮 (2) 泉小太郎スポット

光城山の麓にある田沢神明宮は立地そのものが
考古学的にも面白い場所にあります。

角川日本地名大辞典によれば
「北田沢の田沢川北斜面一帯を町田遺跡といい
 弥生時代の住居跡とみられ土器石器が出土」
とあるからこの地区の先行開発地であった可能性が
高いと思われます。

長野県には多くある沢沿いの水田開発の痕跡が
今でも県道57号沿いに伺うことができます

点在する水田に古代からの面影を感じます。

ちなみに田沢神明宮のすぐそばにも田んぼがありますが
そこからも土器らしきもののかけらを見つけることができます。

そのような弥生時代からの集落から延々と繋がる
場所に田沢神明宮はあります。


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につづく
  


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2023年05月08日

田沢神明宮 (1) 泉小太郎スポット

田沢神明宮

安曇野市は田沢の地にある田沢神明宮ですが
光城山の南麓に位置します。

光城山

長野県安曇野市田沢




仁科濫觴記によれば
「泉小太郎」は
「白水郎 光(ひかる)」という名で語られています

白水郎は読み仮名で「あま」と読み
古代海洋部族の総称であったり
治水事業をおこなう職業名であったりします。

「白水郎 光」
「あまのひかる」が泉小太郎の本名だと仁科濫觴記にはあり
泉小太郎の名はありません

そしてそれを解説した「新仁科撰」では
「白水郎 光」が時代を経て
「泉小太郎」に変形したと説明されています。

そのもともとの名前である
「ひかる」を冠した名が
「光城山」であります

読み方も「ひかるじょうやま」であり
この地区の名前も「ひかる」であります

この地に住む人もなぜ「ひかる」と読むかを理解していないことが
多いですが、おそらく泉小太郎の本名である「ひかる」から
来ているものと考えられます


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Posted by 泉小太郎研究家 at 04:10Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月07日

田沢神明宮 泉小太郎スポット

田沢神明宮




長野県安曇野市豊科田沢4747

田沢神明宮縁起に
景行天皇12年に 泉小太郎が創建したとされます。
ひっそりとした神社ですが 古代には繁栄していたとあります

駐車場はありませんが周辺道路に
路上駐車できるスペースが数台分あります




詳細はつづく  


Posted by 泉小太郎研究家 at 10:48Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月05日

穂高神社(5) 泉小太郎スポット

穂高神社が泉小太郎と関係があると考察することの一つに
その立地があります。

現在穂高神社周辺はハイキングエリアや
サイクリングエリアとして整えられ
安曇野観光の目玉の一つ
大王わさび農場エリアまで足を運べます
散歩では少し距離があるかもしれませんが
穂高連峰を眺めながらの田園散歩サイクリングを
楽しめます

大王わさび農場

長野県安曇野市穂高3640
営業時間 8:00〜17:00
入場は無料 
無料駐車場 380台




休日、ハイシーズンは混みますのでお気をつけください

さて この大王わさび農場は犀川と高瀬川の合流地点にあたる
扇状地の扇端付近でこんこんと水が湧く美しい場所なのですが
そこから穂高神社に向かって進むとなだらかなアップダウンを
繰り返し、最後に河岸段丘的な2mほどの高まりの上に
穂高神社があることがわかります

感じる人が感じれば水害の避難地的な高まりを
感じていただけるかと思います。




写真ではわかりにくいですが少し高いところにあります。
そこでこの場所の地図を等高線で拾ってみると
次のような図が見られます





この等高線によりほかの泉小太郎中心地でもある
田沢神明宮、川会神社なども浮かび上がるために
この等高線下の地域が古代の水害地域で
泉小太郎はここを開発したのではないかと考えるのです。

これまでご紹介したように穂高神社は泉小太郎を考察していく上で
なくてはならない場所です

みなさんも是非訪れてみてください
今後気がついた点、追加記述する点は随時あげていきたいと
おもいます。


からのつづき

穂高神社 泉小太郎スポットを最初から読むには




  


Posted by 泉小太郎研究家 at 05:02Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月04日

穂高神社 泉小太郎スポット

穂高神社





信州 安曇野市穂高にある神社です
泉小太郎の探索の中心地の一つです。


穂高神社
長野県安曇野市穂高6079
駐車場あり




泉小太郎スポットの詳細はこちらから

  


Posted by 泉小太郎研究家 at 04:53Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月03日

穂高神社(4) 泉小太郎スポット

穂高神社の中で泉小太郎と関係があると
思われるものに神宝があります。

それは機(はた)と鍬(くわ)と犀角(さいかく)と布(ぬの)




どの時代からの伝来かは不明ですし
何代目の神宝なのかも不明ですが
おそらくこの3つが神宝となりうるのは
弥生期あるいはこの場所の開墾時にあたるのでは
ないかと類推します。

そして犀角は泉小太郎が乗っていた犀龍を想起させます

私が提唱しているのは
もともと犀角は儀式用に使われていた銅戈ではないかという説です。



黄金色と湾曲した形状
胴体に彫られた溝などに類型をもち

犀角自体は時代を経るごとに肥大化していったのではないかと
私は考えています。

銅戈や布がともに発掘された地域もあり
穂高神社はその時代のものを神宝として
語り継いできたのではないかとも考えています。


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につづく
  


Posted by 泉小太郎研究家 at 03:25Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月02日

穂高神社(3) 泉小太郎スポット

泉小太郎の犀の像に衝撃を受け
「犀」をキーワードにしてこの地を探っていくことで
多くの発見ができたことを思えば
この穂高神社は泉小太郎に対するテーゼを私たちに与えてくれています。


泉小太郎像 穂高神社

さらに昨年(2022年)5月に行われた穂高神社式年遷宮で
作られた遷宮守の絵にはなんと
日本書紀や古事記に登場するような神々の出立ちの
泉小太郎が描かれていました。
穂高神社式年遷宮2022年


実際の購入した写真はこれです。



美しい刺繍のほどこされた綺麗なお守りで。

ひょっとすると現存する唯一の泉小太郎グッズかもしれません。

このお守りの図案にも衝撃をうけたのですが

そうなんです。泉小太郎は子どもではなく

きちんとした神様なのですし

成人した御姿であるはずなのです

さらに余談になりますが、
最近おもっているのは
泉小太郎(たつのこたろう)は龍を使役しためずらしい神であり
さらには龍の背に乗るという縁起の良い神様でもあるなあとおもったりするのです。


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につづく


  


Posted by 泉小太郎研究家 at 05:02Comments(0)泉小太郎スポット

2023年05月01日

穂高神社(2) 泉小太郎スポット


穂高神社で泉小太郎関連のものといえば
この像があります。

泉小太郎像 穂高神社

穂高神社がすばらしいのは
きちんと泉小太郎が考証されているところです。


ほかの地域にある泉小太郎像というのは
おおむね次の写真のようなものです。


大町泉小太郎像

通常泉小太郎像は胴長で蛇のような体に手足がついた東洋風の竜に
子どものような泉小太郎が乗っているものとなります。

おそらく「小太郎」の名前に引っ張られて子どもの造形となっているのでしょう。

しかし、小太郎は白竜王と犀龍の子であることは述べられているものの
幼児もしくは子どもであるとは述べ得られていません

そもそも仁科濫觴記では「あまのひかる」という「健男」であり
青年もしくは成人男性であることが述べられています。

そう考えるとこの穂高神社の泉小太郎像はまさに青年像であり
仁科濫觴記的には忠実に作成されていると言っていいでしょう。

さらにまたがっているのは想像上の「犀」であり一般的な「龍」では
ありません

信府統記にも「犀龍」とわざわざ記されていますので
こちらのほうがより伝説に近いものであると言ってよいでしょう。


つづく

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につづく



  


Posted by 泉小太郎研究家 at 03:40Comments(0)泉小太郎スポット

2023年04月27日

穂高神社(1) 泉小太郎スポット

そろそろまた再開していこうと思います。

泉小太郎に興味を持つと 安曇野や松本平にさまざまな関連地があります。

それを紹介していきますね。

毎日少しずつ増やしていく予定です。



穂高神社
穂高神社


穂高神社ホームページより
穂高見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そして奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています。穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。


穂高神社には次の像と碑があります。




穂高神社 ホームページ

穂高神社の主祭神は穂高見命とありますが、これが仁科濫觴記的には 
保高見熱躬なのではないかと推定されます。

仁科濫觴記はこの地区の神社に関連すると思われる登場人物が多く出てきます。
それをもってして史実、フィクションなどといった議論をするつもりもないのですが
仁科濫觴記的な観点から解釈をしてみようと思います。

まず仁科濫觴記では垂仁天皇の末弟にあたる「仁品王(にほんおう)」が
(安曇の古代の作者である仁科宗一郎氏はにほんおうと読むとしました。)
安曇野から大町にかけての開拓のために、この安曇野に訪れたとあります。

その重臣として登場するのが保高見熱躬です。

保高見熱躬とはどのような人物だったのでしょうか。

名前から類推すると海神(わたつみ)族との関連である「保高見」を冠した
「熱躬(あつみ)」は安曇族の族長といった解釈ができるのでしょうか。

仁科濫觴記内では保高見熱躬は仁品王とともにこの安曇野の地にきており
のちに仁品王の行いを朝廷(のようなもの)に訴えたりしていますので
おそらく中央集権内にいたものではないかと思います。
ですから
仁品王がこの地に来る前からこの地にいた豪族なのか
あるいは仁品王がこの地に来てから栄えた豪族なのかといわれれば
おそらくこの地に来てから栄えた豪族であったと考えられます

仁品王と保高見熱躬はのちのち政策の違いにより
関係を決裂させるのですが
保高見熱躬側についたと思われるのが
泉小太郎のモデルとおもわれる
「あまのひかる」です。

につづく
  


Posted by 泉小太郎研究家 at 20:41Comments(0)泉小太郎スポット