2022年06月05日
検索 犀の角をもとめて 2<泉小太郎伝説の実際(103)>
銅戈のこの長野県への持ち込みは、仁科濫觴記に記載されている開発団体の一団の中のある特定の人物が持ち込んだものである可能性が高く、僕の考えでは、泉小太郎伝説で語られる白龍王もしくは犀龍のもととなる人物である「九頭子(クズコ)」さんが持ち込んだものではないかと思っています。
銅戈の産地を見てみましょう。
銅戈出土地一覧
銅戈出土地マップ
日本における2大産地は、北九州と、大阪湾周辺で、先に北九州で生産され時代を経てのちに大阪湾周辺で生産されたとされています。
北九州の銅戈の産地はおそらく日本における銅戈文化の発祥地でBC2世紀頃弥生時代の前中期にあたるもので、この地には「白水」という地名であったり「犀川」などがあります。
これは北九州地方にも「犀信仰」があったと考えて間違いないと僕は思います。
そして、そこから200年後〜400年後あたりのAD200年頃、その勢力は東進し、淡路島周辺の大阪湾あたりで銅戈が生産されます。
その銅戈は「大阪湾型」と呼ばれ、「海の口神社」のものも、中野市の柳沢遺跡で発見された8本の内6本もこの「大阪湾型中細形銅戈」となります。
つまり長野県にこの銅戈を持ち込んだ「人」はこの大阪湾周辺の部族となりますが、グーグルマップで調べるとこの大阪湾型銅戈が大量発見された「灘区桜ヶ丘」にあたる神戸の山の麓には「九頭龍神社」がいくつかあります。
仁科濫觴記にある「九頭子」はこの「九頭龍神社」に関係した一族であると確信していますがいかがでしょうか。
(ちなみに戸隠神社の前身もじつはこの九頭龍神社であったとされています。
戸隠神社は仁科濫觴記で開発記録が残る白馬と、銅戈が発見された中野市を結ぶルート上にある山の神社です。)
そして、この部族はおそらく山間部の河川改修土木工事が得意な部族だと思われ、日本各地にある「九頭龍神社もしくは九頭龍伝説」の場は山間部の河川周辺にあり、おそらく古代の河川改修の跡地で起きた信仰もしくは伝承なのではないかと思います。
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銅戈の産地を見てみましょう。
銅戈出土地一覧
銅戈出土地マップ
日本における2大産地は、北九州と、大阪湾周辺で、先に北九州で生産され時代を経てのちに大阪湾周辺で生産されたとされています。
北九州の銅戈の産地はおそらく日本における銅戈文化の発祥地でBC2世紀頃弥生時代の前中期にあたるもので、この地には「白水」という地名であったり「犀川」などがあります。
これは北九州地方にも「犀信仰」があったと考えて間違いないと僕は思います。
そして、そこから200年後〜400年後あたりのAD200年頃、その勢力は東進し、淡路島周辺の大阪湾あたりで銅戈が生産されます。
その銅戈は「大阪湾型」と呼ばれ、「海の口神社」のものも、中野市の柳沢遺跡で発見された8本の内6本もこの「大阪湾型中細形銅戈」となります。
つまり長野県にこの銅戈を持ち込んだ「人」はこの大阪湾周辺の部族となりますが、グーグルマップで調べるとこの大阪湾型銅戈が大量発見された「灘区桜ヶ丘」にあたる神戸の山の麓には「九頭龍神社」がいくつかあります。
仁科濫觴記にある「九頭子」はこの「九頭龍神社」に関係した一族であると確信していますがいかがでしょうか。
(ちなみに戸隠神社の前身もじつはこの九頭龍神社であったとされています。
戸隠神社は仁科濫觴記で開発記録が残る白馬と、銅戈が発見された中野市を結ぶルート上にある山の神社です。)
そして、この部族はおそらく山間部の河川改修土木工事が得意な部族だと思われ、日本各地にある「九頭龍神社もしくは九頭龍伝説」の場は山間部の河川周辺にあり、おそらく古代の河川改修の跡地で起きた信仰もしくは伝承なのではないかと思います。
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