2022年06月08日
検索 犀の角をもとめて 3<泉小太郎伝説の実際(104)>
仁科濫觴記の中では、「九頭子(クズコ)」が河川大臣に任じられ、その河川大臣に白水郎(あま)という治水の技術集団の長として「日光(ひかる)」(泉小太郎のこと)が任じられ見事治水を成功させた物語が描かれています。
仁品王という崇神天皇の末っ子が技能集団を引き連れて開発に赴くという物語が仁科濫觴記でしたが、ようやく実態ある姿を見せてきました。こうして、さまざまな事象がより具体的な証拠としてつながってくると、ますます仁科濫觴記にある古代の記述が、史実だったのではないかと感じざるを得ません。
ちなみにこの安曇野で人気の歴史テーマ「安曇族の安曇野への移動」の数ある説の中で、「磐井の乱」という日本書紀にも語られる古代の大戦乱と結びつけた説があります。
「磐井の乱」で敗れた安曇部族の逃避行の先として安曇野へ移動したという説です。
この説は、「坂本博氏」が著書である「信濃安曇族の謎を追う」のなかで展開しているのです。
その説のなかで磐井の乱の中で朝廷に命乞いをして生き延びた人物の名が「葛子(くずこ)」といいます。まさに「九頭子(くずこ)」と同名です。そして、その「葛子(くずこ)」が朝廷に差し出した土地こそが、九州型銅戈出土の本拠地である「糟屋」となっており、これも偶然だとは思えません。
時代背景さえ合致すれば、この仁科濫觴記は安曇族流入の物語のサイドストーリーを語った史実に近い話だと言えます。
ただし、磐井の乱は527年とされていますから垂仁天皇期とされる仁品王の時代とは大きく違ってはいるのですが。
仁品王が創作で崇神ー垂仁年間でなく磐井の乱後、陳謝のために天皇家に使役された「九頭子」がきたとしてもいいのかもしれません。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
仁品王という崇神天皇の末っ子が技能集団を引き連れて開発に赴くという物語が仁科濫觴記でしたが、ようやく実態ある姿を見せてきました。こうして、さまざまな事象がより具体的な証拠としてつながってくると、ますます仁科濫觴記にある古代の記述が、史実だったのではないかと感じざるを得ません。
ちなみにこの安曇野で人気の歴史テーマ「安曇族の安曇野への移動」の数ある説の中で、「磐井の乱」という日本書紀にも語られる古代の大戦乱と結びつけた説があります。
「磐井の乱」で敗れた安曇部族の逃避行の先として安曇野へ移動したという説です。
この説は、「坂本博氏」が著書である「信濃安曇族の謎を追う」のなかで展開しているのです。
その説のなかで磐井の乱の中で朝廷に命乞いをして生き延びた人物の名が「葛子(くずこ)」といいます。まさに「九頭子(くずこ)」と同名です。そして、その「葛子(くずこ)」が朝廷に差し出した土地こそが、九州型銅戈出土の本拠地である「糟屋」となっており、これも偶然だとは思えません。
時代背景さえ合致すれば、この仁科濫觴記は安曇族流入の物語のサイドストーリーを語った史実に近い話だと言えます。
ただし、磐井の乱は527年とされていますから垂仁天皇期とされる仁品王の時代とは大きく違ってはいるのですが。
仁品王が創作で崇神ー垂仁年間でなく磐井の乱後、陳謝のために天皇家に使役された「九頭子」がきたとしてもいいのかもしれません。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら