2022年02月27日
したくなかった検索 「犀の角をもとめて」1<泉小太郎伝説の実際(26)>
僕はハッピーエンドが好きです。
ですから、この泉小太郎(たつのこたろう)伝説に関しても、
前章にのべたような田沢神明宮の縁起にあるとおり
村里が繁栄し、祭りには犀川と光城山に火を灯して
泉小太郎を祀るという幸せな情景の締めくくりに大満足したかったのです。
間違うことがないように言うと、泉小太郎である「ひかるくん」の物語は間違いなくハッピーエンドです。
本当に彼のおかげで安曇野の地は繁栄しました。
この地の開祖であるのも間違いありません。
もちろんきっかけは仁科濫觴記によれば
「仁品王」であり「九頭子」であり「保高見熱躬」でしたが、
常に民とともにあった「ひかるくん」は人々にも好かれ、
その偉業はたとえ「ひかる」の名が忘れ去られたとしても泉小太郎伝説となり、今の世にも伝えられるくらいです。
でも。です。
でも、それならばなぜ、「ひかる」の名は忘れ去られ、
泉小太郎伝説の終わりかたはあんなにも物悲しいものになってしまったのでしょう。
「堤を破って日本海に消えていく」という民話であったり
信府統記では「仏崎に身を隠す」などの情景が描かれるのです。
はっきり言って古代でこれだけのことをしたら、
もっと華々しい終わり方か、すくなくとも喜びにあるれる民の笑顔でおわってもいいはずです。
もちろん、簡単な理由ならあげられます。
仁科宗一郎氏も述べているように「ひかるくん」つまり白水郎日光の名は、
仁科濫觴記には治水終了後一切出てこなくなるのです。
ですから、元ネタの仁科濫觴記をみてつくられた信府統記などの伝説では
泉小太郎がフェイドアウトするような印象の文章となる。
これは、正しい。でも。
でも、もし、そうであっても田沢神明宮の繁栄が続いていたら、
「ひかるくん」の伝承は残っており、それをみた信府統記作家も参照したに違いなく、
もっと華々しい終わり方であったはずです。
なぜこのような物悲しい物語になってしまったのでしょうか?
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Posted by 泉小太郎研究家 at 08:47│Comments(0)
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