このブログのサイトマップ

2022年02月28日

検索 知りたくなかった「天文年間」1 <泉小太郎伝説の実際(28)>

田沢神明宮縁起には天文年間に関する記述が二回出てきます。

一つめは
「天文の頃、悪徒の用に石工矢穴を掘りけども破ることあたはず即時に眼くらみて人の家へ入り死せりと云う」

二つ目は
天文のころ乱世にて悪徒のために(併設されていた)円満寺焼失する 惜しいかなそののち再興もなく(円満寺は)廃絶す 宝蔵も焼亡するゆえ古伝の書巻神宝等も紛失す その頃は当所困窮し里民、神職の者も頼りを失い修補の力なく社頭減少しける云々
 

僕は、恥ずかしながら天文年間という時代がどういう時代なのかをしらず
田沢神明宮にあった船石の説明文を読んで
江戸時代の盗賊が盗んだものだとおもってしまっていました。


でも天文年間を調べたら、

『天文(元号)』(ウィキペディアより)

『天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝』

あれ?江戸時代じゃない。戦国時代だ。
起きた出来事をウィキペディアで調べてみても
『(天文)10年6月14日(1541年): 甲斐国守護武田家で武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎を追放することで当主交代。当主となった晴信は海野平合戦を契機に信濃侵攻を開始。』という内容が出てきます。

あれ?武田信玄が信濃侵攻開始?しかも海野平合戦って
まさに光城山の城主って海野氏一族じゃなかったっけ?

え?悪徒って盗人じゃなくて、武田軍?

たしかに田沢神明宮縁起にも「天文ノ頃 乱世にて」とある。

僕の想像した悪徒は一人でしたが、違う!武田軍だ。(英語なら単数と複数で単語が違うので一目瞭然ですが)
悪徒って書かれているから一人だとおもいますよね。
田沢神明宮にある説明文も「心なき者」とあるから勘違いしていました。

何が起こったんだ?武田軍だったら軍記があるはずなので詳しい状況がわかるはず。

すると。。。。。書きたくない。。。。



泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら



同じカテゴリー(泉小太郎伝説の実際)の記事画像
泉小太郎を調べまくる 3年目のまとめ<泉小太郎伝説の実際(106)>
検索 犀の角をもとめて 1<泉小太郎伝説の実際(102)>
検索 ふたたび穂高神社 4<泉小太郎伝説の実際(101)>
検索 ふたたび穂高神社 3<泉小太郎伝説の実際(100)>
検索 ふたたび穂高神社 2<泉小太郎伝説の実際(99)>
検索 ふたたび穂高神社 1<泉小太郎伝説の実際(98)>
同じカテゴリー(泉小太郎伝説の実際)の記事
 泉小太郎を調べまくる 3年目のまとめ<泉小太郎伝説の実際(106)> (2022-06-11 17:07)
 検索 犀の角をもとめて 4<泉小太郎伝説の実際(105)> (2022-06-09 19:46)
 検索 犀の角をもとめて 3<泉小太郎伝説の実際(104)> (2022-06-08 20:10)
 検索 犀の角をもとめて 2<泉小太郎伝説の実際(103)> (2022-06-05 03:57)
 検索 犀の角をもとめて 1<泉小太郎伝説の実際(102)> (2022-06-04 04:57)
 検索 ふたたび穂高神社 4<泉小太郎伝説の実際(101)> (2022-06-02 18:35)

Posted by 泉小太郎研究家 at 06:02│Comments(0)泉小太郎伝説の実際
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。