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2022年05月30日

検索 ふたたび穂高神社 2<泉小太郎伝説の実際(99)>

その後、家に帰り現在の住まいの近くの県立図書館に向かい穂高神社について調べ、「穂高神社史」(宮地直一著)(1949年に穂高神社社務所が出版)という本を見つけました。この本には、穂高の開発時期の時代背景や、安曇族との関連性を調べた調査報告がされていました。その中で、ついに僕は衝撃の1ページに突き当たるのです。

それは「穂高神社史」の「上代の発展」という章に描かれた一枚の挿絵がのったページです。
それがこれです。


右から 機(はた)鍬(くわ)犀角とあります。


これは穂高神社の神宝のスケッチで、なんとこの3年間探しに探しまくった「犀の角」が最初からここ穂高神社にあったのです。
鉄製の鍬も機道具も、まったくもって古代の弥生時代もしくは古墳時代の生活のなかで、稲作、機織りという重要な作業をするための道具であり、古代より伝承し信仰の対象となっていたのは容易に想像できます。

そのなかにあって、いきなり犀角という生活とは関係のないものが神宝とされています。
この荒唐無稽の犀の角に関してはどう捉えていいかわからず、「穂高神社史」著者の宮地氏も戸惑い「近傍の犀川の流に因む犀龍の伝説より思いついたのかも知れないが、その形式よりすれば之を避邪のためにした中世の公家生活の儀式に負うところのあるのであるまいか。」と結論を避けています。

穂高神社史によると、この犀角は木型の上に金箔を押してあるということで金色に光っているというのです。
僕はこの「犀角」の絵を見た時に衝撃を覚えました。
金色!これはまさに「銅戈」を模したものではありませんか?

もう一度、犀角



これを反転し、金色っぽく黄色に塗って、銅戈とならべてみるとこうなります。



穂高神社に伝わる「犀角の原型が「銅戈」だとすると、金箔によって金色に模したものであるところや、付け根から胴に向かって掘られた溝や湾曲した造形などは、かすかに原型の面影をとどめていると言えないでしょうか



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Posted by 泉小太郎研究家 at 19:59Comments(0)泉小太郎伝説の実際