2022年05月31日
検索 ふたたび穂高神社 3<泉小太郎伝説の実際(100)>
これら神宝は穂高神社に併設されている「御船館」に展示されているということで見にいきました。
また写真撮影も大丈夫ということでしたので撮影してきました。
こちらが犀角です。

いかがでしょうか。銅戈よりはかなり大きく肥大化しているため(2倍くらい?)一見すると同一のものに感じないかもしれません。しかし、写真で大きさを多少修正して並べてみると、やはり「犀角」は「銅戈」の模倣品であったのではないかと感じます。

もともとは「銅戈」もしくは「銅戈を模したもの」が「犀角」として祀られていたのではないでしょうか。
しかし「銅戈」というものは古代以来、普段の生活で使われることがなく、日常接するものでないため、「犀角」という名前だけが残り時代を経るにつれより想像する「犀角」に盛られていったり肥大化して今の形に変わってきたのではないでしょうか。
その「犀角」が弥生時代もしくは古墳時代を彷彿とする機や鍬とともにあるのです。

「穂高神社史」にはこれともう一つ機で織られた布もあったといいます。
またあとで述べると思いますが「銅戈」とともに布が発見されている事例もあります
これらの神宝とともにあることからも弥生時代を代表する「銅戈」が
この「犀角」の元であった傍証ともなるのではないでしょうか。
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また写真撮影も大丈夫ということでしたので撮影してきました。
こちらが犀角です。

いかがでしょうか。銅戈よりはかなり大きく肥大化しているため(2倍くらい?)一見すると同一のものに感じないかもしれません。しかし、写真で大きさを多少修正して並べてみると、やはり「犀角」は「銅戈」の模倣品であったのではないかと感じます。

もともとは「銅戈」もしくは「銅戈を模したもの」が「犀角」として祀られていたのではないでしょうか。
しかし「銅戈」というものは古代以来、普段の生活で使われることがなく、日常接するものでないため、「犀角」という名前だけが残り時代を経るにつれより想像する「犀角」に盛られていったり肥大化して今の形に変わってきたのではないでしょうか。
その「犀角」が弥生時代もしくは古墳時代を彷彿とする機や鍬とともにあるのです。

「穂高神社史」にはこれともう一つ機で織られた布もあったといいます。
またあとで述べると思いますが「銅戈」とともに布が発見されている事例もあります
これらの神宝とともにあることからも弥生時代を代表する「銅戈」が
この「犀角」の元であった傍証ともなるのではないでしょうか。
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