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2022年03月05日

検索 ふたたび「犀の角」を探して1 <泉小太郎伝説の実際(31)>

武田軍の進軍によりこの地方の神社や寺は
ことごとく(大事なことなので2回言います ことごとく)
壊滅してしまい、それまで伝わった神宝や古伝、由緒は
灰燼となりました。


まずはここで一つ謝りたいことがあります。
それは「信府統記」に対してです。

「ひかるくん」を「泉小太郎」とし、犀龍や白龍王の伝説を作り上げ、坂上田村麻呂伝説などをでっちあげたというあの本です。

この本の中でも、何度か批判したりもしていました。

しかし、すくなくとも泉小太郎伝説に関しては、戦乱のため
あたるべき資料が壊滅していたということが判明したため(戦乱終結から100年以上あと)、
今では逆に信府統記は、
江戸時代、戦乱によって途絶えた安曇野やその他の伝承をなくなる前に保存したのではないかと考えるようになりました。
そして、村々を回って口伝という形で伝えられた安曇野の伝説を集め一つにした。
手法はともかく、失われる前にという思いは戦乱終結100年たったあとであれば急務だったのかもしれません。

またこの地方の神社の由緒がどれもこれも画一的で
同じような伝承になってしまっているのは
それまでの由緒が壊滅し、伝えていた人々も
いなくなってしまっていたために江戸時代に復活させた経緯があったのです。



さて話を戻しますが

僕がこの天文年間の事実を調べるきっかけになったのは、
「犀の角」を探すために、田沢神明宮にある次の一文を調べ始めたからでした。
もう一度書きます。

『天文の頃、悪徒の用に石工 矢穴を掘りけども破ることあたはず即時に眼くらみて人の家へ入り死せりと言う』


『(要約)天文年間に、悪徒が石をつかうために、矢による傷をつけたが壊れることはなかった。(傷をつけたものは)即時に盲目となり 人の家へ入り(?)死んだと伝えられている』

では犀の角つまり犀矛はどこへ行った?



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Posted by 泉小太郎研究家 at 12:13│Comments(0)泉小太郎伝説の実際
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