2022年03月17日
泉小太郎伝説を調べまくる 1年目のまとめ <泉小太郎伝説の実際(43)>
1年目のまとめ
穂高神社の像をみて

泉小太郎が乗っていたのは単なる龍なのではなく
「犀龍」であったことを知ります。
「犀」とは古代の治水工事につかわれた土木機械だったのでは
ないかと推測しました。

泉小太郎の物語をさぐる上で「仁科濫觴記」という古文書から
泉小太郎の名が「ひかる」であったことを知りました。

安曇野にある「光城山(ひかるじょうやま)」
を探りました。

「光城山」の麓で泉小太郎が創建したとされる「田沢神明宮」を発見しました。

その境内に「犀」と想起していた「岩舟」をみつけました。

「岩舟」の先端に切り取られたような痕跡があることから

その切り取られたものが「犀の角」なのではないかと考え「岩舟の伝承」を探ったことで

「天文年間」にこの地は戦乱に巻き込まれ
「武田軍」によって壊滅したことを知りました。
また「岩舟の伝承」は武田の次男「武田竜宝」のことを物語ったものであると
突き止めました。
また甲府にのこる信玄堤にある「おみゆきさん」という女装する祭が

武田軍に連れ去られた「信州の女子供」の使役の痕跡であることや
「聖牛」という治水道具が「犀牛」だったのではなかったか
「竜王の膳」という民話は「信玄堤の建設従事者」を描いたものの民話化で
あったのではないかと推論しました。
ここで仁科濫觴記を発見してからの
1年目の発見の旅がひとまず終了しました。
次から2年目の発見の旅に入ります。
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Posted by 泉小太郎研究家 at 20:35│Comments(0)
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