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2022年03月26日

検索 仏崎観音寺6<泉小太郎伝説の実際(54)>

仏崎観音寺のおかみさんもしくは住職の娘さんだとおもうのですが
いくつか質問をさせていただきました。

そのかたは、(たしか)嫁いできたので自分はこの泉小太郎については
詳しくはないけれど住職は詳しいようなことをおっしゃっていました。

可能であれば住職に今一度インタビューをする必要があるかと思いますが
コロナでその機会に恵まれません。


「この洞穴の中に、竜にかかわる何かありませんでしたか?
長い石もしくは青銅器か ツノっぽいものだと思うんですが」
と私が尋ねると

「昔はみんな登って入ったりしていたらしいけれど
観音様か何かがあったと言っていたけれどそれらしいものはなかったはずです」
「詳しい調査を役場の田中さん(?)が調べていたので
そちらで確認してもらえば一覧があるはず」と教えてくれました。

「役場というのは、松川?大町?どちらですか」と聞くと
 大町です」ということでした。

こちらも一度問い合わせする必要があるかと思いますが
まだ出来ていません。

僕の中では「それらしいものはなかった」という言葉にショックを受けつつも
境内にあった武田軍の進軍を受けたという文章から
ここに田沢神明宮から避難してきて隠された「犀の角」は
「強奪された」か、あるいはまたどこかに「逃がしたか 移したか」
という予測をたてたのでした。

後日、境内にあった冊子(写真にて確認)を読んでみると

最後に署名されており、「昭和五十八年 泉仏崎 降旗剛夫」 とあります。

どのようなかたかわかりませんが、郷土の歴史を探求されたかただと思います。(あるいはこのお寺の住職かもしれません)
また、この地区は「泉」ということもわかりました。
泉小太郎との関係地である傍証でしょう。

内容を読んでみると、武田軍による略奪の記述であったり
ここの洞穴には、泉小太郎を模した石仏があったということがわかります。
どのようなものかわかりませんが
泉小太郎信仰がこの地にあったことがわかりますし
この石仏は田沢神明宮か、他の場所から移されたものかもしれません。

今回出会ったおかみさんによると
「泉小太郎研究者」が、時々この寺に参拝するらしく
しかも、研究者の間ではここはメジャーな場所だということでした。

しかし、僕はまったくこの仏崎観音寺のことを知りませんでした。
(あるいは気にもしていませんでした)
他の泉小太郎研究者とアクセスルートが違うからでしょう。
他のかたはおそらく信府統記を基準とした探し方をしているのだと考えられます。

そんなメジャー地すら知らなかった自分を反省し
「信府統記」を一度リサーチしてみなくてはいけないのでは」と思い
信府統記の関連地を探ることにしたのです。


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Posted by 泉小太郎研究家 at 14:45│Comments(0)泉小太郎伝説の実際
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