2022年04月02日
コラム1 泉小太郎とお船祭り<泉小太郎伝説の実際(61)>
少しここら辺で、目先を変えてコラムです。
泉小太郎とお船祭りです。
仕事で安曇野市役所に行くことがあり、出入り業者との待ち合わせの際、その担当者が時間を間違え1時間待ちぼうけとなりました。
それならばと、すぐ近くにある安曇野市豊科郷土博物館に寄らせていただきました。
特に何を探すわけでもなかったのですが、お舟祭りの特集をしていましたので見ることにしました。
この日感じたことをコラムとして書きます。(話は少し脱線です)
安曇野市豊科郷土博物館

お舟祭りは穂高神社の例祭で有名で、海のない長野県における船の祭りとして安曇族の伝承としても古代のロマンあふれるものです。
穂高神社の祭りとしては「白村江の戦い」に登場する安曇氏である「安曇比羅夫」を関連づけて説明されることが多い気がします。

安曇野市観光協会より
しかし僕は当初、お舟祭りこそが泉小太郎が堤を開いたときにつかった古代器具を伝承したもので、船と船がぶつかるシーンが、開墾シーンを再現したものではないかと想像したものでした。
下の絵の右図のようなないようで
泉小太郎が竜にのって湖をきりひらくときに
石をぶつけた様が祭りとなって残ったのかもと考えました。

しかし、その日、展示をみて考えが一新されました。
お舟祭りは、安曇野各地にあり
特に岩舟が残る田沢神明宮のある安曇野東地区にも広がる一帯にもあることがわかりました。

わかりにくいですが、丸のついた部分がお舟まつりの分布です。分布地域が川沿いあり、川に関連した祭りだと考えられます。

さらには穂高神社のお舟祭りがとりわけ大きく船型となっていますが、その他はたいてい、小さな山車くらいの船を曳き歩くという祭りなのです。
分布地区に広がるさまざまな「船」をみると
穂高神社の船は後々巨大化したもので
もともとは山車を引くぐらいの規模の祭りだったことが
推察されます。
この近くには川沿いの各地で「船」と呼ばれる山車を引く祭りが広い範囲で分布している
これに気がついた時に
田沢神明宮の岩舟の考察が頭をよぎるのです。


山梨の信玄堤おみゆきさんのところでも述べましたが
ひょっとするとこの「岩舟」は河川メンテナンスに使われていた
ロードローラーのような役目をしていたかもしれないと述べました。
また田沢神明宮には河川メンテナンスにおいて1年に一度
河川沿いを点検した祭りがあったことを示す縁起があります。
河川の堤防は年に一度ほど押し固める必要があったという
ことは信玄堤 おみゆきさんの時も述べましたが
そのような祭りの残りが
お船祭りなのではないかと考えたのです。
安曇族の安曇比羅夫は後世の勝手な付け加えであるというのは専門家も指摘する常識的な判断で
田沢神明宮(もしくはこの地区の河川付近)の岩船曳きがもともとあって
それが穂高神社では年々拡大されていき今のようなお舟まつりになったと考えるほうが妥当ではないかと
コラムを残したいと思います。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
泉小太郎とお船祭りです。
仕事で安曇野市役所に行くことがあり、出入り業者との待ち合わせの際、その担当者が時間を間違え1時間待ちぼうけとなりました。
それならばと、すぐ近くにある安曇野市豊科郷土博物館に寄らせていただきました。
特に何を探すわけでもなかったのですが、お舟祭りの特集をしていましたので見ることにしました。
この日感じたことをコラムとして書きます。(話は少し脱線です)
安曇野市豊科郷土博物館

お舟祭りは穂高神社の例祭で有名で、海のない長野県における船の祭りとして安曇族の伝承としても古代のロマンあふれるものです。
穂高神社の祭りとしては「白村江の戦い」に登場する安曇氏である「安曇比羅夫」を関連づけて説明されることが多い気がします。

安曇野市観光協会より
しかし僕は当初、お舟祭りこそが泉小太郎が堤を開いたときにつかった古代器具を伝承したもので、船と船がぶつかるシーンが、開墾シーンを再現したものではないかと想像したものでした。
下の絵の右図のようなないようで
泉小太郎が竜にのって湖をきりひらくときに
石をぶつけた様が祭りとなって残ったのかもと考えました。

しかし、その日、展示をみて考えが一新されました。
お舟祭りは、安曇野各地にあり
特に岩舟が残る田沢神明宮のある安曇野東地区にも広がる一帯にもあることがわかりました。

わかりにくいですが、丸のついた部分がお舟まつりの分布です。分布地域が川沿いあり、川に関連した祭りだと考えられます。

さらには穂高神社のお舟祭りがとりわけ大きく船型となっていますが、その他はたいてい、小さな山車くらいの船を曳き歩くという祭りなのです。
分布地区に広がるさまざまな「船」をみると
穂高神社の船は後々巨大化したもので
もともとは山車を引くぐらいの規模の祭りだったことが
推察されます。
この近くには川沿いの各地で「船」と呼ばれる山車を引く祭りが広い範囲で分布している
これに気がついた時に
田沢神明宮の岩舟の考察が頭をよぎるのです。


山梨の信玄堤おみゆきさんのところでも述べましたが
ひょっとするとこの「岩舟」は河川メンテナンスに使われていた
ロードローラーのような役目をしていたかもしれないと述べました。
また田沢神明宮には河川メンテナンスにおいて1年に一度
河川沿いを点検した祭りがあったことを示す縁起があります。
河川の堤防は年に一度ほど押し固める必要があったという
ことは信玄堤 おみゆきさんの時も述べましたが
そのような祭りの残りが
お船祭りなのではないかと考えたのです。
安曇族の安曇比羅夫は後世の勝手な付け加えであるというのは専門家も指摘する常識的な判断で
田沢神明宮(もしくはこの地区の河川付近)の岩船曳きがもともとあって
それが穂高神社では年々拡大されていき今のようなお舟まつりになったと考えるほうが妥当ではないかと
コラムを残したいと思います。
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泉小太郎を調べまくる 3年目のまとめ<泉小太郎伝説の実際(106)>
検索 犀の角をもとめて 4<泉小太郎伝説の実際(105)>
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Posted by 泉小太郎研究家 at 05:05│Comments(0)
│泉小太郎伝説の実際