2022年04月22日
検索 銅戈(どうか)1<泉小太郎伝説の実際(81)>
銅戈とは
銅戈は青銅で作られた戈である。 元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器であるが、日本や朝鮮半島では刃部のみが大型化した形態として発掘される。日本における銅戈はその形状や使用痕が殆んどないことから、戦闘用ではなく祭礼用であろうと推測される。 ウィキペディアより

これが銅戈です
僕はこれが犀の角だったのではないかと考えるのです。
いろいろ考察しはじめるまえに
犀の角に関してのいままでの経緯を述べます。
穂高神社で泉小太郎像をみて

「犀」という言葉を不思議に感じていました。
「犀」とは古代の土木器具ではなかったかと推察しそれに相当するような巨石を探しました。
その中で田沢神明宮の岩舟をみつけ、その舳先が削られていることから
「犀」のへさき つまり「犀の角」がどこかに盗まれたのではないかと
岩舟にある伝承を追いかけました。


しかしその検索のなかで「犀の角」がこの岩舟とは違うと思い当たり
田沢神明宮に残る縁起を読み解くと
「泉小太郎は犀の広矛をもって鱗魔を討ちたまい」とあり
犀の広矛が道具であったこと、手に持てる程度のものだったことが書かれていました。
そして広矛を調べたところ
青銅器の広矛が検索され「犀の広矛」とは青銅器であると考えて青銅器を探しました。

田沢神明宮縁起では
「犀の矛を鎮めて神明の御社の前面に犀の神を勧請した」とあり
天文時代の乱世に武田軍に攻められるまでこの地に祀られていたと書かれています。
その後、この犀の矛は行方不明になるのですが、仏崎観音寺を発見して、信府統記の「仏崎の岩穴に隠れる」などの伝承が御神体遷移の伝承化したものかもしれないと推測し「信府統記」の関係地を探りました。
その検索の中で発見したのがこの銅戈です。

泉小太郎伝説の実際を最初から読む
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銅戈は青銅で作られた戈である。 元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器であるが、日本や朝鮮半島では刃部のみが大型化した形態として発掘される。日本における銅戈はその形状や使用痕が殆んどないことから、戦闘用ではなく祭礼用であろうと推測される。 ウィキペディアより

これが銅戈です
僕はこれが犀の角だったのではないかと考えるのです。
いろいろ考察しはじめるまえに
犀の角に関してのいままでの経緯を述べます。
穂高神社で泉小太郎像をみて

「犀」という言葉を不思議に感じていました。
「犀」とは古代の土木器具ではなかったかと推察しそれに相当するような巨石を探しました。
その中で田沢神明宮の岩舟をみつけ、その舳先が削られていることから
「犀」のへさき つまり「犀の角」がどこかに盗まれたのではないかと
岩舟にある伝承を追いかけました。


しかしその検索のなかで「犀の角」がこの岩舟とは違うと思い当たり
田沢神明宮に残る縁起を読み解くと
「泉小太郎は犀の広矛をもって鱗魔を討ちたまい」とあり
犀の広矛が道具であったこと、手に持てる程度のものだったことが書かれていました。
そして広矛を調べたところ
青銅器の広矛が検索され「犀の広矛」とは青銅器であると考えて青銅器を探しました。

田沢神明宮縁起では
「犀の矛を鎮めて神明の御社の前面に犀の神を勧請した」とあり
天文時代の乱世に武田軍に攻められるまでこの地に祀られていたと書かれています。
その後、この犀の矛は行方不明になるのですが、仏崎観音寺を発見して、信府統記の「仏崎の岩穴に隠れる」などの伝承が御神体遷移の伝承化したものかもしれないと推測し「信府統記」の関係地を探りました。
その検索の中で発見したのがこの銅戈です。

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泉小太郎を調べまくる 3年目のまとめ<泉小太郎伝説の実際(106)>
検索 犀の角をもとめて 4<泉小太郎伝説の実際(105)>
検索 犀の角をもとめて 3<泉小太郎伝説の実際(104)>
検索 犀の角をもとめて 2<泉小太郎伝説の実際(103)>
検索 犀の角をもとめて 1<泉小太郎伝説の実際(102)>
検索 ふたたび穂高神社 4<泉小太郎伝説の実際(101)>
検索 犀の角をもとめて 4<泉小太郎伝説の実際(105)>
検索 犀の角をもとめて 3<泉小太郎伝説の実際(104)>
検索 犀の角をもとめて 2<泉小太郎伝説の実際(103)>
検索 犀の角をもとめて 1<泉小太郎伝説の実際(102)>
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Posted by 泉小太郎研究家 at 19:45│Comments(0)
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