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2022年02月16日

検索 仁科濫觴記3 <泉小太郎伝説の実際(7)>


この「ひかるくん」の事業が仁科濫觴記のなかで、記述されていきますので、すこし仁科濫觴記の骨子だけを紹介します。

「仁品王」(にしなおう)という皇族が、都から安曇野開拓のために派遣されるところから物語ははじまります。「仁品王」は崇神天皇の末子で、垂仁天皇の末弟で、景行天皇の叔父にあたります。およそ4世紀くらいの古墳時代の人物だと思われます。(このあたりの検証は「安曇の古代」において仁科宗一郎氏が詳細に行っていますので省きます。)

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「仁品王」は、最重臣の「保高見熱躬(ほたかみのあつみ)」をはじめ、開拓に必要と思われる各技能集団を引き連れ、この地に赴任してきます。
 そして、政庁として今の長野県大町市の天王寺にあたるところに館を構えて開拓を推し進めます。そのため、この大町は王町(おうまち)と呼ばれます。
この後、「ひかる」の治水の表記がなされていきますが、省略して下記に述べます。

①この地区は湖水の底などではなかったものの、大雨が続く時には水嵩
が増し氾濫して湖のようになって民を苦しめていた。
②この地を開拓しようと都から出向いた仁品王が、従臣のなかから治水大臣に「九頭子」(くずこ 人名)を任命する。
③「九頭子」は「健男」の中から「ひかるくん」を選び、治水のための集団「白水郎」の長として「ひかるくん」を任じる。
④治水は「ひかるくん」の指揮により、健男を集めおこなわれた
⑤九頭子と「ひかるくん」は「征矩規峡(せいのりさわ)」を治水基地として治水を始める
⑥治水は数年にわたって行われたがその間にも「満水数度あり」と、氾濫が  何度かおきるなどの難工事であった
⑦さらに何年もかかり事業が成就すると川幅が広くなり、流れも滞ることがなくなり村里の民も豊穣に喜んだ

この中には、しごくまともな、治水事業の経過報告が書かれています。
この表記がなぜ、犀龍にのって堤を破って、安曇野盆地を開拓したという話にまで盛られていくかは、人間のエンターテイメントのサガでしょう。

こうやって歴史が民話になっていきます。
 
ちなみにこの治水大臣に任じられたのが「九頭子(くずこ)」という人物であったため、後世に戸隠神社の九頭竜大社と結び付けられ信府統記(しんぷとうき)では「泉小太郎」の父親が「白龍王」となったと思われます。ひょっとすると戸隠神社の九頭竜大社は祖霊としてまつられたこの「九頭子」がはじまりかもしれません。
また、「ひかるくん」の治水基地である「征矩規峡(せいのりさわ)」が「尾入沢(おのいりさわ)」になったのではないかと思います。
信府統記(しんぷとうき)の泉小太郎伝説の中では、この「尾入沢」で、小太郎は母親の犀龍と出会い、湖を破り開墾することになります。

歴史の民話化ってこんな感じなのかと、元となる正確な古文書と民話を時代を経た現代において、並列に読むとよくわかります。



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Posted by 泉小太郎研究家 at 19:32│Comments(0)泉小太郎伝説の実際
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