2022年04月09日
検索 廃仏毀釈3<泉小太郎伝説の実際(68)>
戸田光則の政府にあてた手紙を載せてみます。これを読んでいただければこの戸田光則のヒステリックな感情を感じていただけると思います。
「臣光則は才なく徳うすき身でありながら、松本藩知事の任を承り厚く恩沢を蒙り、日夜勉励致しましたけれども、管内は僻地であり民衆の気持ちは頑固、その上仏教がはびこり僧侶はずる賢く、ことある毎に便乗して民心を惑わして、幾多の財宝をかすめとって邪悪の仏教を盛にして、正道を害して、我が国固有の大義を妨げ、敬神の令典は急に行われ難く、まことに憂慮の至りであります。私光則をはじめ配下の士、庶民に至るまで仏教を信ずるものはおりません。祭政一致なる我が国の大典を世界に類なく普くゆきわたらせるご趣旨を体して、まず臣光則一家を神葬祭に改典し、松本藩士族、卒庶民に至るまで、改典し、管内悉く神葬祭に改めさせ度く考えております。(略)」
このおびえた感情によって、このあと自らの菩提寺を破壊し、廃仏毀釈を管内に吹き荒れさせまくります。
のちに、この状況を知った政府が返書した内容と実際の施策とがあまりに違い、当事者たちが「ア然とした」とあるように、まったくの個人的な拡大解釈、かってな忖度で松本藩の地区の寺社仏閣は壊滅してしまうのです。
何度もいいますが、ここまでやったところは松本やいくつかの例外の場所以外には例がなく、これは政府の施策でもなんでもなく、戸田光則の独断であったのです。
そして、その時に壊滅させられた民衆信仰のひとつが、泉小太郎信仰なのです。
ひょっとすると「泉小太郎伝説」の一番の壊滅要因は、武田氏でも飢饉でもなく、この戸田光則の廃仏毀釈だったかもしれないという驚愕の歴史を発見してしまったのです。
そう思うと今ものこる泉小太郎の祠も見え方が変わらないでしょうか
誰かが守り切った歴史なのです。

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「臣光則は才なく徳うすき身でありながら、松本藩知事の任を承り厚く恩沢を蒙り、日夜勉励致しましたけれども、管内は僻地であり民衆の気持ちは頑固、その上仏教がはびこり僧侶はずる賢く、ことある毎に便乗して民心を惑わして、幾多の財宝をかすめとって邪悪の仏教を盛にして、正道を害して、我が国固有の大義を妨げ、敬神の令典は急に行われ難く、まことに憂慮の至りであります。私光則をはじめ配下の士、庶民に至るまで仏教を信ずるものはおりません。祭政一致なる我が国の大典を世界に類なく普くゆきわたらせるご趣旨を体して、まず臣光則一家を神葬祭に改典し、松本藩士族、卒庶民に至るまで、改典し、管内悉く神葬祭に改めさせ度く考えております。(略)」
このおびえた感情によって、このあと自らの菩提寺を破壊し、廃仏毀釈を管内に吹き荒れさせまくります。
のちに、この状況を知った政府が返書した内容と実際の施策とがあまりに違い、当事者たちが「ア然とした」とあるように、まったくの個人的な拡大解釈、かってな忖度で松本藩の地区の寺社仏閣は壊滅してしまうのです。
何度もいいますが、ここまでやったところは松本やいくつかの例外の場所以外には例がなく、これは政府の施策でもなんでもなく、戸田光則の独断であったのです。
そして、その時に壊滅させられた民衆信仰のひとつが、泉小太郎信仰なのです。
ひょっとすると「泉小太郎伝説」の一番の壊滅要因は、武田氏でも飢饉でもなく、この戸田光則の廃仏毀釈だったかもしれないという驚愕の歴史を発見してしまったのです。
そう思うと今ものこる泉小太郎の祠も見え方が変わらないでしょうか
誰かが守り切った歴史なのです。

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Posted by 泉小太郎研究家 at 16:57│Comments(0)
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