2022年02月26日
検索 田沢神明宮縁起4 <泉小太郎伝説の実際(25)>
その後、この神明宮の縁起は、当時の信仰形態について語っています。
『最初は3月25日(途中から信託あって7月16日)には、光城山と犀川のほとりに明かりをともし、有明の里(安曇野)から見えるようにして竜神を祭るように泉小太郎が命ずる』とあります。
光山(ひかるやま)のふもとの犀川沿いにともしびを並べて有明(安曇野)から竜神を祀るってものすごくロマンチックではないでしょうか。
今は高速道路がとおってしまっているため、これを復活しても有明の里から見渡すことはできないのが残念ですが、もし高速道路がなかったとすると、この光をともした情景は安曇野各地から見えたはずで古代や中世にあってはとても心に残る情景だったことでしょう。
ちなみに今もやっているかどうかわかりませんが光城山に白鳥の形を模した大文字みたいな電光を灯すことがありましたが、あれはかなり遠くからでも見えました。あれが犀川の流れに灯りをともしたものにかわったと思っていただければ美しさや遠くからの感動も感じていただけるでしょう。
(高速道路がなかったらきっとこれプロジェクト化できたのに!!)
これを企画した「ひかる」プロデューサーの手腕を感じます。
田沢神明宮縁起は、この後、信府統記と同じように坂上田村麻呂伝説、八面大王伝説に続いていき、泉小太郎の影はなくなってきますが、明らかな繁栄をしめします。
僕が望む、華々しいハッピーエンドにたどり着きました!!
神明宮縁起にも繁栄のさまが書かれています。
(この宮の縁起なので話半分としてお聞きください)
『信濃の国に神明の霊地7カ所あり。信濃七神明と申し奉る
苅谷沢神明宮 会田宮本神明宮 麻績神明宮 川手潮村神明宮
仁科宮本神明宮 更級小市神明宮 犀川上田沢神明宮
そのうち当村の神明宮は上古より神威が殊に著しい霊地である。
七神明宮のうち随一なりと感じるのは諸人の知る所なり。
社殿も賑々しく人々はこぞって崇敬し、里の民は皆で厳重に祭祀を務めた
人々は正直にて日夜滞りなく神慮を涼め奉つ。
この神社は伊勢内宮の移しであり、有明の里の開所の地の古跡が今も残っている。山内に入って一の鳥居に入れば人家を離れ山がそびえている、目の前には流水が清く千年を超えるような樹木が茂っている前には犀ノ神原船石あり
小田が続く田沢川の流れは伊勢の五十鈴川と見え、御手洗水も流れを分かちたるものなり。掛かっている橋も天の浮き橋とみえ、伊勢神宮の宇治橋に似ている。鳥は囀り獣は遊ぶ。風のこずえは塵を払って水も垢を落とす。ここは天長地久万世不朽の霊地なり。
この地は五穀豊穣で男女繁栄し村野安全で皆豊かで楽しんでいる。』
たつのこたろうこと、泉小太郎こと あまのひかる は大成した。
彼のなした治水は華々しい成果をあげ、かれは慕われ村々は賑わった。
人々はその豊穣に喜び、祝い、年に一回の祭りでは光城山と犀川沿いに灯をならべてその豊かな暮らしに感謝した。
その光景は安曇野の地の全域から伺うことができ、安曇野の村々の民たちは皆、その犀龍が夜ひかり踊る姿をみて、豊穣を喜びあった。
この田沢神明宮縁起を読んだときには気がつかなかったのですが
この「犀川」と「光城山」に灯火をともした祀りの風景は
まさに犀川に光城山が乗っているように見えるはずで、
この情景から「犀龍」の背に、「ひかる」こと「泉小太郎」が乗り活躍する壮大な泉小太郎伝説が生まれたのかもしれないと思うのです。


その犀龍の向かう先は打ち破ったとされる、山清路とその先の日本海。
「泉小太郎は犀龍とともに日本海まで流れ下ったのでした」 の最後の一文にようやく到達することになるのでした。
めでたしめでたし
おしまい
。。。としたい。。。。
でも、まだ続いていしまう。。。。
ここまで読んでくれた方ありがとうございます。
ここまでが泉小太郎を知る上で
知っておきたい基礎情報でしたので長文覚悟で載せました。
非常に読みにくかったかと思います。
「信府統記」「仁科濫觴記」「田沢神明宮縁起」という3つの古文書を読むことで
この地にのこる泉小太郎伝説が、いよいよ紐解かれ始めます。
実はこの3つの古文書に出会うまでに8年ほどかかり
それまでは、
農学部出身者として、
この地の田んぼや水利に興味があり
その不思議さをめぐるのが主な探究手法でありました。
このあと本当にいよいよ
歴史のパズルに巻き込まれていきます。
お楽しみください
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
『最初は3月25日(途中から信託あって7月16日)には、光城山と犀川のほとりに明かりをともし、有明の里(安曇野)から見えるようにして竜神を祭るように泉小太郎が命ずる』とあります。
光山(ひかるやま)のふもとの犀川沿いにともしびを並べて有明(安曇野)から竜神を祀るってものすごくロマンチックではないでしょうか。
今は高速道路がとおってしまっているため、これを復活しても有明の里から見渡すことはできないのが残念ですが、もし高速道路がなかったとすると、この光をともした情景は安曇野各地から見えたはずで古代や中世にあってはとても心に残る情景だったことでしょう。
ちなみに今もやっているかどうかわかりませんが光城山に白鳥の形を模した大文字みたいな電光を灯すことがありましたが、あれはかなり遠くからでも見えました。あれが犀川の流れに灯りをともしたものにかわったと思っていただければ美しさや遠くからの感動も感じていただけるでしょう。
(高速道路がなかったらきっとこれプロジェクト化できたのに!!)
これを企画した「ひかる」プロデューサーの手腕を感じます。
田沢神明宮縁起は、この後、信府統記と同じように坂上田村麻呂伝説、八面大王伝説に続いていき、泉小太郎の影はなくなってきますが、明らかな繁栄をしめします。
僕が望む、華々しいハッピーエンドにたどり着きました!!
神明宮縁起にも繁栄のさまが書かれています。
(この宮の縁起なので話半分としてお聞きください)
『信濃の国に神明の霊地7カ所あり。信濃七神明と申し奉る
苅谷沢神明宮 会田宮本神明宮 麻績神明宮 川手潮村神明宮
仁科宮本神明宮 更級小市神明宮 犀川上田沢神明宮
そのうち当村の神明宮は上古より神威が殊に著しい霊地である。
七神明宮のうち随一なりと感じるのは諸人の知る所なり。
社殿も賑々しく人々はこぞって崇敬し、里の民は皆で厳重に祭祀を務めた
人々は正直にて日夜滞りなく神慮を涼め奉つ。
この神社は伊勢内宮の移しであり、有明の里の開所の地の古跡が今も残っている。山内に入って一の鳥居に入れば人家を離れ山がそびえている、目の前には流水が清く千年を超えるような樹木が茂っている前には犀ノ神原船石あり
小田が続く田沢川の流れは伊勢の五十鈴川と見え、御手洗水も流れを分かちたるものなり。掛かっている橋も天の浮き橋とみえ、伊勢神宮の宇治橋に似ている。鳥は囀り獣は遊ぶ。風のこずえは塵を払って水も垢を落とす。ここは天長地久万世不朽の霊地なり。
この地は五穀豊穣で男女繁栄し村野安全で皆豊かで楽しんでいる。』
たつのこたろうこと、泉小太郎こと あまのひかる は大成した。
彼のなした治水は華々しい成果をあげ、かれは慕われ村々は賑わった。
人々はその豊穣に喜び、祝い、年に一回の祭りでは光城山と犀川沿いに灯をならべてその豊かな暮らしに感謝した。
その光景は安曇野の地の全域から伺うことができ、安曇野の村々の民たちは皆、その犀龍が夜ひかり踊る姿をみて、豊穣を喜びあった。
この田沢神明宮縁起を読んだときには気がつかなかったのですが
この「犀川」と「光城山」に灯火をともした祀りの風景は
まさに犀川に光城山が乗っているように見えるはずで、
この情景から「犀龍」の背に、「ひかる」こと「泉小太郎」が乗り活躍する壮大な泉小太郎伝説が生まれたのかもしれないと思うのです。


その犀龍の向かう先は打ち破ったとされる、山清路とその先の日本海。
「泉小太郎は犀龍とともに日本海まで流れ下ったのでした」 の最後の一文にようやく到達することになるのでした。
めでたしめでたし
おしまい
。。。としたい。。。。
でも、まだ続いていしまう。。。。
ここまで読んでくれた方ありがとうございます。
ここまでが泉小太郎を知る上で
知っておきたい基礎情報でしたので長文覚悟で載せました。
非常に読みにくかったかと思います。
「信府統記」「仁科濫觴記」「田沢神明宮縁起」という3つの古文書を読むことで
この地にのこる泉小太郎伝説が、いよいよ紐解かれ始めます。
実はこの3つの古文書に出会うまでに8年ほどかかり
それまでは、
農学部出身者として、
この地の田んぼや水利に興味があり
その不思議さをめぐるのが主な探究手法でありました。
このあと本当にいよいよ
歴史のパズルに巻き込まれていきます。
お楽しみください
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら