2022年02月15日
検索 仁科濫觴記2 <泉小太郎伝説の実際(6)>
仁科濫觴記(にしならんしょうき)によると泉小太郎のモデルは「白水郎日光」という実在の(と思われる)人物です。
後世に繰り返される写本のなかで誤写され「白水郎日光」が中世的な名前である「泉小太郎」とされてしまいます。(安曇の古代 新撰仁科記 の泉小太郎考 より)
まず、「白水郎日光」の意味がわからないため「白水光郎」と誤写され
「白水」が(縦書きなので)「泉」に変換され
「光郎」のほうは分解されて、(縦書きの楷書ではなく、行書、草書体なのでかなり崩されていますので)
小太郎になったそうです。

また仁科濫觴記の文中には名前に「日光」とあるため
もう一度日光をつけてしまい、
信府統記では「日光泉小太郎」とされたという変遷がありました。
さて、泉小太郎のモデルとなった「白水郎日光」ですが
これでなんと読むかといえば普通は「はくすいろうにっこう」でしょう。
しかし実際は
「あま ひかる(もしくは、あまのひかる)」と読みます。
「白水郎」は、どう読んでも「はくすいろう」と読めるのですが
平安時代の百科事典「和名類聚抄」には「あま」という呼び名で載っているそうです。
「あま」とは「海女」あるいは「海人」で、
古代では「あま」は、治水等を行う海洋部族もしくはその技術集団でした。
つまり、役職を表す名前の「白水郎」がついた「日光(ひかる)」で
泉小太郎のモデルとなった人物はあまの「ひかる」。
注)実際は「日光」とかいて「ひかる」ですが、
日光東照宮以降、「日光」をどう読んでも「にっこう」としか読めなくなってしまっているため
あえて「ひかるくん」と表記していきます。(あくまで名前なので 「くん」づけで)
治水技術をもつ専門技能集団「白水郎」(あま と読む)の一員「日光」
「大工の源さん」と同じような「あまの ひかる くん」です。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
後世に繰り返される写本のなかで誤写され「白水郎日光」が中世的な名前である「泉小太郎」とされてしまいます。(安曇の古代 新撰仁科記 の泉小太郎考 より)
まず、「白水郎日光」の意味がわからないため「白水光郎」と誤写され
「白水」が(縦書きなので)「泉」に変換され
「光郎」のほうは分解されて、(縦書きの楷書ではなく、行書、草書体なのでかなり崩されていますので)
小太郎になったそうです。

また仁科濫觴記の文中には名前に「日光」とあるため
もう一度日光をつけてしまい、
信府統記では「日光泉小太郎」とされたという変遷がありました。
さて、泉小太郎のモデルとなった「白水郎日光」ですが
これでなんと読むかといえば普通は「はくすいろうにっこう」でしょう。
しかし実際は
「あま ひかる(もしくは、あまのひかる)」と読みます。
「白水郎」は、どう読んでも「はくすいろう」と読めるのですが
平安時代の百科事典「和名類聚抄」には「あま」という呼び名で載っているそうです。
「あま」とは「海女」あるいは「海人」で、
古代では「あま」は、治水等を行う海洋部族もしくはその技術集団でした。
つまり、役職を表す名前の「白水郎」がついた「日光(ひかる)」で
泉小太郎のモデルとなった人物はあまの「ひかる」。
注)実際は「日光」とかいて「ひかる」ですが、
日光東照宮以降、「日光」をどう読んでも「にっこう」としか読めなくなってしまっているため
あえて「ひかるくん」と表記していきます。(あくまで名前なので 「くん」づけで)
治水技術をもつ専門技能集団「白水郎」(あま と読む)の一員「日光」
「大工の源さん」と同じような「あまの ひかる くん」です。
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