2022年02月18日
検索 穂高神社1 <泉小太郎伝説の実際(10)>
ここからが本番です。ここからは今の時点でどこにも載っていない僕だけが知る情報です。(僕が知らないだけで誰かがすでに調べている可能性もありますが、そのような文書を発見できませんでした。)
さて、もし仁科宗一郎さんが推察したように、ひかるくんが仁品王と保高見熱躬(ほたかみのあつみ)との軋轢のなかで、保高見あつみ側についたとしたら、主に大町の記録である「仁科濫觴記(にしならんしょうき)」にその名を留めていなくても、穂高方面には、その伝承等が残っているのではないかと思いました。
そこで穂高神社に向かいました。

穂高神社 マップ
『穂高神社』(穂高神社ホームページより)
『穗髙見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そしてその奥宮は、北アルプス穂高岳のふもとの上高地に祀られており、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られています。』
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さて、もし仁科宗一郎さんが推察したように、ひかるくんが仁品王と保高見熱躬(ほたかみのあつみ)との軋轢のなかで、保高見あつみ側についたとしたら、主に大町の記録である「仁科濫觴記(にしならんしょうき)」にその名を留めていなくても、穂高方面には、その伝承等が残っているのではないかと思いました。
そこで穂高神社に向かいました。

穂高神社 マップ
『穂高神社』(穂高神社ホームページより)
『穗髙見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そしてその奥宮は、北アルプス穂高岳のふもとの上高地に祀られており、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られています。』
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2022年02月18日
スタートライン! いよいよ泉小太郎伝説の探索が始まります。<泉小太郎伝説の実際(9)>
ここまでで「あまのひかるくん」に関する「仁科濫觴記(にしならんしょうき)」の記述は終わりました。
ここまでは、ネットを探って「仁科濫觴記」にたどりつき、「安曇の古代」という名著を手にすれば、何とか得られる情報です。
ただ先ほども説明したように
「仁科濫觴記」および「安曇の古代」「仁科宗一郎氏」のどれもが埋もれてしまっているため、
ここまでの情報ですら、知られていません。
そのどれかに一度でも触れればその正当性を理解できますし、少なくとも安曇研究家は必読であるべきです。
ここまでは今回の僕の探求の前段階です。
読みにくい文章で申し訳ありませんでした。
ここまできて「仁科濫觴記」にたどりつくまで約8年かかっています。
その8年間の探究は またいつかブログに載せようと思いますが
主に、ネット検索と、農業用水や水の流れに興味をもって
探求していました。
その時に、「安曇の古代」という「仁科濫觴記」の解説本を
手にした日から、怒涛の発見ラッシュとなるのです。
まるで、いままでかき集めてきたパズルの正解を手にしたように。
ここからの発見ラッシュをみると
「仁科濫觴記」が 偽書などではなく
時代時代ごとに手を加えられながら守られてきた
真実に近い伝承だったのではないかと思えてしかたがないのです。
さて
ここまでで8年間。
実際はそのほかの試行錯誤も同時に多数行っていますが今回は泣く泣く省略です
では、「泉小太郎」と後世で呼ばれるようになった「ひかるくん」(白水郎 日光)は
その後どうなったのか
本当にもう歴史の幕は下りたのか。いよいよここから、僕の探求が始まります。
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ここまでは、ネットを探って「仁科濫觴記」にたどりつき、「安曇の古代」という名著を手にすれば、何とか得られる情報です。
ただ先ほども説明したように
「仁科濫觴記」および「安曇の古代」「仁科宗一郎氏」のどれもが埋もれてしまっているため、
ここまでの情報ですら、知られていません。
そのどれかに一度でも触れればその正当性を理解できますし、少なくとも安曇研究家は必読であるべきです。
ここまでは今回の僕の探求の前段階です。
読みにくい文章で申し訳ありませんでした。
ここまできて「仁科濫觴記」にたどりつくまで約8年かかっています。
その8年間の探究は またいつかブログに載せようと思いますが
主に、ネット検索と、農業用水や水の流れに興味をもって
探求していました。
その時に、「安曇の古代」という「仁科濫觴記」の解説本を
手にした日から、怒涛の発見ラッシュとなるのです。
まるで、いままでかき集めてきたパズルの正解を手にしたように。
ここからの発見ラッシュをみると
「仁科濫觴記」が 偽書などではなく
時代時代ごとに手を加えられながら守られてきた
真実に近い伝承だったのではないかと思えてしかたがないのです。
さて
ここまでで8年間。
実際はそのほかの試行錯誤も同時に多数行っていますが今回は泣く泣く省略です
では、「泉小太郎」と後世で呼ばれるようになった「ひかるくん」(白水郎 日光)は
その後どうなったのか
本当にもう歴史の幕は下りたのか。いよいよここから、僕の探求が始まります。
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