2022年02月28日
検索 知りたくなかった「天文年間」2 <泉小太郎伝説の実際(29)>
天文年間にこの地になにが起きたか。
詳細は専門家に任せますが
天文10年 海野平の戦いで本家海野氏が断絶。
そこから 小岩岳城の戦いもふくめ最終的には
天文22年 刈谷原城の攻防で、刈谷原城、塔の原城、光城、田沢城、会田城が落城
この期におよんで 鎌倉時代に海野氏から分かれた
中信海野5家 苅谷原氏 塔の原氏 光氏 田沢氏 会田氏
が滅亡する。
光城山を調べた時に出てきた海野氏が関係してくるなんて思ってもみませんでした。
海野氏も調べると、なんと平安時代からの系譜をもつ古い氏族です。
名前に小太郎の名前が散見されますので、千曲川沿いの小太郎伝説は海野氏のことかもしれません。
(小泉小太郎伝説についてはいつか述べます。)
とにかくここで海野氏が完全断絶します。
さて、話をもどして
天文年間。
実はこの地は、天文10年~天文22年までの12年間にも及ぶ戦乱に巻き込まれてしまっていたのです。
さらに調べてみると、ここが本当に書きたくないのですが、
武田信玄は「乱妨取り」で知られていたということなのです。
『乱妨取り』 (ウィキペディアより)
『乱妨取り(らんぼうどり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、
戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為。一般には、これを略して乱取り(らんどり・乱取)と呼称された。
当時の軍隊における兵士は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。
人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、
褒美として付近を自由に乱取りさせた。それら狼藉は悪事ではないとされた。』
つまり、戦乱という名の略奪行為が認められており、それを目的に従軍した人々こそが「悪徒」だったのです。
前述した小岩岳城の戦いの中で武田側の記録「勝山記」にはこうあります。
「この年も信州へ御働きを候、小岩岳と申候要害をせめとしめされ候、打取る頸五百余人、足弱取る事、数を知らず候」
足弱とは女子供のことであります。
間違いなく、略奪、人さらい、しかも12年間も。
しかも、さらって売るために市がたったということで、
このさらわれた人たちは人身売買されて散り散りになってしまったのです。
武田信玄のイメージがガラッと変わってしまいました。
この事実を知るとあの武田信玄の名言「人は城、人は石垣、人は堀」も違った言葉で聞こえます。
(ちなみにまさにこの記事をUPする今日の信濃毎日新聞には
川中島の合戦時に天文24年に 川中島の戦費負担として
武田信玄が臨時税として小国に数億円要求した文書が出てきたという記事が載っていました。)
武田信玄が信州に行った壊滅的な略奪行為を知ってしまった身としては
信州人が武田信玄をことさらに美化するのには
かなり抵抗を覚えます。
この武田軍については いずれまた「その後の武田軍」という記事を書きたいと思います。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
詳細は専門家に任せますが
天文10年 海野平の戦いで本家海野氏が断絶。
そこから 小岩岳城の戦いもふくめ最終的には
天文22年 刈谷原城の攻防で、刈谷原城、塔の原城、光城、田沢城、会田城が落城
この期におよんで 鎌倉時代に海野氏から分かれた
中信海野5家 苅谷原氏 塔の原氏 光氏 田沢氏 会田氏
が滅亡する。
光城山を調べた時に出てきた海野氏が関係してくるなんて思ってもみませんでした。
海野氏も調べると、なんと平安時代からの系譜をもつ古い氏族です。
名前に小太郎の名前が散見されますので、千曲川沿いの小太郎伝説は海野氏のことかもしれません。
(小泉小太郎伝説についてはいつか述べます。)
とにかくここで海野氏が完全断絶します。
さて、話をもどして
天文年間。
実はこの地は、天文10年~天文22年までの12年間にも及ぶ戦乱に巻き込まれてしまっていたのです。
さらに調べてみると、ここが本当に書きたくないのですが、
武田信玄は「乱妨取り」で知られていたということなのです。
『乱妨取り』 (ウィキペディアより)
『乱妨取り(らんぼうどり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、
戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為。一般には、これを略して乱取り(らんどり・乱取)と呼称された。
当時の軍隊における兵士は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。
人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、
褒美として付近を自由に乱取りさせた。それら狼藉は悪事ではないとされた。』
つまり、戦乱という名の略奪行為が認められており、それを目的に従軍した人々こそが「悪徒」だったのです。
前述した小岩岳城の戦いの中で武田側の記録「勝山記」にはこうあります。
「この年も信州へ御働きを候、小岩岳と申候要害をせめとしめされ候、打取る頸五百余人、足弱取る事、数を知らず候」
足弱とは女子供のことであります。
間違いなく、略奪、人さらい、しかも12年間も。
しかも、さらって売るために市がたったということで、
このさらわれた人たちは人身売買されて散り散りになってしまったのです。
武田信玄のイメージがガラッと変わってしまいました。
この事実を知るとあの武田信玄の名言「人は城、人は石垣、人は堀」も違った言葉で聞こえます。
(ちなみにまさにこの記事をUPする今日の信濃毎日新聞には
川中島の合戦時に天文24年に 川中島の戦費負担として
武田信玄が臨時税として小国に数億円要求した文書が出てきたという記事が載っていました。)
武田信玄が信州に行った壊滅的な略奪行為を知ってしまった身としては
信州人が武田信玄をことさらに美化するのには
かなり抵抗を覚えます。
この武田軍については いずれまた「その後の武田軍」という記事を書きたいと思います。
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2022年02月28日
検索 知りたくなかった「天文年間」1 <泉小太郎伝説の実際(28)>
田沢神明宮縁起には天文年間に関する記述が二回出てきます。
一つめは
「天文の頃、悪徒の用に石工矢穴を掘りけども破ることあたはず即時に眼くらみて人の家へ入り死せりと云う」
二つ目は
天文のころ乱世にて悪徒のために(併設されていた)円満寺焼失する 惜しいかなそののち再興もなく(円満寺は)廃絶す 宝蔵も焼亡するゆえ古伝の書巻神宝等も紛失す その頃は当所困窮し里民、神職の者も頼りを失い修補の力なく社頭減少しける云々
僕は、恥ずかしながら天文年間という時代がどういう時代なのかをしらず
田沢神明宮にあった船石の説明文を読んで
江戸時代の盗賊が盗んだものだとおもってしまっていました。
でも天文年間を調べたら、
『天文(元号)』(ウィキペディアより)
『天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝』
あれ?江戸時代じゃない。戦国時代だ。
起きた出来事をウィキペディアで調べてみても
『(天文)10年6月14日(1541年): 甲斐国守護武田家で武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎を追放することで当主交代。当主となった晴信は海野平合戦を契機に信濃侵攻を開始。』という内容が出てきます。
あれ?武田信玄が信濃侵攻開始?しかも海野平合戦って
まさに光城山の城主って海野氏一族じゃなかったっけ?
え?悪徒って盗人じゃなくて、武田軍?
たしかに田沢神明宮縁起にも「天文ノ頃 乱世にて」とある。
僕の想像した悪徒は一人でしたが、違う!武田軍だ。(英語なら単数と複数で単語が違うので一目瞭然ですが)
悪徒って書かれているから一人だとおもいますよね。
田沢神明宮にある説明文も「心なき者」とあるから勘違いしていました。
何が起こったんだ?武田軍だったら軍記があるはずなので詳しい状況がわかるはず。
すると。。。。。書きたくない。。。。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
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一つめは
「天文の頃、悪徒の用に石工矢穴を掘りけども破ることあたはず即時に眼くらみて人の家へ入り死せりと云う」
二つ目は
天文のころ乱世にて悪徒のために(併設されていた)円満寺焼失する 惜しいかなそののち再興もなく(円満寺は)廃絶す 宝蔵も焼亡するゆえ古伝の書巻神宝等も紛失す その頃は当所困窮し里民、神職の者も頼りを失い修補の力なく社頭減少しける云々
僕は、恥ずかしながら天文年間という時代がどういう時代なのかをしらず
田沢神明宮にあった船石の説明文を読んで
江戸時代の盗賊が盗んだものだとおもってしまっていました。
でも天文年間を調べたら、
『天文(元号)』(ウィキペディアより)
『天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝』
あれ?江戸時代じゃない。戦国時代だ。
起きた出来事をウィキペディアで調べてみても
『(天文)10年6月14日(1541年): 甲斐国守護武田家で武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎を追放することで当主交代。当主となった晴信は海野平合戦を契機に信濃侵攻を開始。』という内容が出てきます。
あれ?武田信玄が信濃侵攻開始?しかも海野平合戦って
まさに光城山の城主って海野氏一族じゃなかったっけ?
え?悪徒って盗人じゃなくて、武田軍?
たしかに田沢神明宮縁起にも「天文ノ頃 乱世にて」とある。
僕の想像した悪徒は一人でしたが、違う!武田軍だ。(英語なら単数と複数で単語が違うので一目瞭然ですが)
悪徒って書かれているから一人だとおもいますよね。
田沢神明宮にある説明文も「心なき者」とあるから勘違いしていました。
何が起こったんだ?武田軍だったら軍記があるはずなので詳しい状況がわかるはず。
すると。。。。。書きたくない。。。。
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