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2022年03月13日

検索 信玄堤3 <泉小太郎伝説の実際(39)>

信玄堤は旧竜王町を中心に施工されました。

『竜王町(山梨県)』(ウィキペディアより)

『竜王町(りゅうおうちょう)は、山梨県北西部の中巨摩郡に存在した町。
2004年(平成16年)9月1日、中巨摩郡敷島町と北巨摩郡双葉町とともに合併、甲斐市となり消滅した。』

資料の下調べをした後、「竜王図書館」に赴きました。
とても親切な図書館で、時間がないなか、皆さんで手分けして
僕の探す資料を残らず探してくれ、コピーしてくれました。

僕は、今までと同じように近くの神社に古文書などが残っていて
すぐに発見できると思いました。しかし、それが空振りに終わります。

この信玄堤と、竜王河原宿の成立に関しても
もっとも詳しいと思われる竜王町誌および
柴辻(斎藤)俊六氏の論文を手当たり次第
読んでみても次の記事が発見できたのがやっととなります。

『(一部抜粋)着工期間は一般に天文11年とされるが根拠はなく判然としない。永禄三年には武田家朱印状が残るためこの時点で堤防は完成していたと解釈される。多くの資材や労働力が必要であったと考えられるが、それらに関する資料は現在発見されておらず、どのような工事が行われたのかはっきりしない。信玄堤は戦国大名による治水施策として全国的に著名であるが、その施工実態についてはほとんど解明されていない

戦国時代の名治水として知られる「信玄堤」にも関わらず
だれが指揮したかも、どのようにつくられたかも、資材が何で、実際に労役に従事した人間が
どういう人たちなのかというのも全く不明。

にもかかわず、それまで毎年のように洪水を起こしていた
釜無川が信玄堤がつくられて以降ピタリと洪水が治まるほどの出来栄えです。

「検索 信玄堤 1」で紹介した「信玄堤」研究の第一人者
独立行政法人土木研究所研究企画監博士(工学)和田 一範氏をして、
「信玄堤が450年間機能していることを知ってびっくりしました」と言わしめるほどです。

これほどの名治水工事にもかかわらず
だれがどのようにしておこなわれたのか分からないということはどういうことでしょうか

まるで、古代歴史ものの本に良く出てくるような「高度な技術をもった謎の部族」みたいです。
 
それでも食い下がって探求するも何の情報も得られず得られたのは次の情報くらいです。

「信玄堤」(当初は竜王河除場という名)の近くに竜王河原宿が成立するのが永禄3年でこの時には、
この堤は完成していたとされます。そして、
この竜王河原宿には、堤が完成してようやく近隣の住人が集められ、堤防の保守に携わるようになります。
 
「竜王河原宿」はもともとここにあったのではなく、
この堤が完成するとともに、作られた宿というのです。
工事完了後に周辺住民が集められるというのはどういうことでしょうか。
工事をした人はどこにいったのでしょう。
また、それまでに工事を行っていた人は誰なのか?という答えは依然見つかりません。

そして、今度はその工事従事者が行方不明となるのです。
ただ一つ、「竜王」という名前だけを残して。。。。



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Posted by 泉小太郎研究家 at 16:28Comments(0)泉小太郎伝説の実際

2022年03月13日

検索 信玄堤2 <泉小太郎伝説の実際(38)>

『信玄堤』(ウィキペディア)

『(中略)天文11年(1542年)6月に信虎を追放し国主となった晴信期の初期には信濃侵攻を本格化している。川除工事の開始時期は不明であるが、『明治以前日本土木史』では信濃侵攻と平行して天文11年に堤防築造が着工したとされている。一方で、川除場で行われる夏御幸の開始時期が弘治年間(1555年 - 1558年)であることから、弘治年間までには着工されていたとする説もある』

戦国時代の名治水として知られる「信玄堤」
それまで、毎年のように氾濫していた川がこの「信玄堤」の完成とともに氾濫が見事に治まったといいます。
その「信玄堤」が「天文11年」に「信濃侵攻」と同時期に着工が始まったというのです。

あの「天文年間」です。

もうおわかりかと思いますが、僕の推論はこうです。
『「信州の民、および、ひかるの民」は武田軍に「乱妨取り(ひとさらい)」され、甲斐に連れてこられた。そして、国土開発のため信玄によって使役され、「信玄堤」を築いた。』

時代は全く合致します。状況も合致します。

そしてその信玄堤のある地は、その名も「竜王」

このことに気が付いてから、いてもたってもいられなくなり
「竜王」に向かいました。


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Posted by 泉小太郎研究家 at 08:30Comments(0)泉小太郎伝説の実際