2022年03月18日
検索 やっぱり「犀の角」はどこ? <泉小太郎伝説の実際(44)>
自分の気になりはじめたら、納得のいくまで調べたいという性癖によって
泉小太郎を探り始めて7年 そして 仁科濫觴記に出会ってから一年
実は泉小太郎の探索は田沢神明宮の発見までで終わるつもりでした。
あの、犀龍のほとりを松明をもってめぐるというシーンを発見できたときに
とてつもない幸せな風景に、胸を打ち、ああ、この美しい風景を安曇野の
みんなに教えてあげたいと心から願いました。
しかし、たった一つ気になった「犀の角」はどこに行った?
というトレジャーハンティング的な興味本位により
知りたくも書きたくもなかった「天文年間」を知ってしまい
この事実を知ったあと数日は落ち込んで寝ることもできませんでした。
光り輝いていた歴史が沼の中に没してしまったのです。
でも。それでも犀の角の行先が気になります。
田沢神明宮には 「ひかるくん」がつかっていた古代土木器具が祀られていたと思っています。
この神明宮を奉る際に
角にあたる部分と胴体とをわけ(痕跡あり)角にあたる部分を
犀の矛(さいのほこ)とよび
胴体を犀の磐舟としたのではないかと推察しました。
そして、武田信親は、この地を武田軍が滅ぼした後、海野氏を名乗るにあたり僧号として海野竜宝となのりました。
そして、その運命は、岩舟の伝承にあるように、、不遇の死を遂げます。
こまで関わりがあって、名前を竜宝となのったからには、
僕はやはりここに伝わっていた、
その当時まで霊験あらたかだといわれていた犀矛(犀の角)は海野竜宝の手に渡ったのではないかと妄想しました。
どこに行ったか。
なにしろ石です。矛と称されるようですからそこそこ長いでしょう。
消し去るわけにはいかないはずです。石ですから、焼失も考えられません。
絶対どこかにあるとさまざまな検索をまた始めました。
でもキーワードのどれにもひっかかることはありません。
そして、ある時ひらめきました。
みなさん大きな石といえば何に使いますか?
僕が考えた答えは「墓石」です。
すぐに「竜宝 墓 画像」で検索し
検索された結果がこれです。

まあ、あくまで妄想です。
五重塔とか卒塔婆でしょう。でももっと近くで見たいと「動画」をしらべたら武田家にゆかりのある墓を巡っているかたの動画があり、その人のコメントに「縦にながいお墓ですね。他の武田家の墓にはみられない特徴です」というコメントが。
近くでみれば、同じ岩の組成かどうかがわかるはずです。
僕はこの墓のある場所
甲府の入明寺に向かいました。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
泉小太郎を探り始めて7年 そして 仁科濫觴記に出会ってから一年
実は泉小太郎の探索は田沢神明宮の発見までで終わるつもりでした。
あの、犀龍のほとりを松明をもってめぐるというシーンを発見できたときに
とてつもない幸せな風景に、胸を打ち、ああ、この美しい風景を安曇野の
みんなに教えてあげたいと心から願いました。
しかし、たった一つ気になった「犀の角」はどこに行った?
というトレジャーハンティング的な興味本位により
知りたくも書きたくもなかった「天文年間」を知ってしまい
この事実を知ったあと数日は落ち込んで寝ることもできませんでした。
光り輝いていた歴史が沼の中に没してしまったのです。
でも。それでも犀の角の行先が気になります。
田沢神明宮には 「ひかるくん」がつかっていた古代土木器具が祀られていたと思っています。
この神明宮を奉る際に
角にあたる部分と胴体とをわけ(痕跡あり)角にあたる部分を
犀の矛(さいのほこ)とよび
胴体を犀の磐舟としたのではないかと推察しました。
そして、武田信親は、この地を武田軍が滅ぼした後、海野氏を名乗るにあたり僧号として海野竜宝となのりました。
そして、その運命は、岩舟の伝承にあるように、、不遇の死を遂げます。
こまで関わりがあって、名前を竜宝となのったからには、
僕はやはりここに伝わっていた、
その当時まで霊験あらたかだといわれていた犀矛(犀の角)は海野竜宝の手に渡ったのではないかと妄想しました。
どこに行ったか。
なにしろ石です。矛と称されるようですからそこそこ長いでしょう。
消し去るわけにはいかないはずです。石ですから、焼失も考えられません。
絶対どこかにあるとさまざまな検索をまた始めました。
でもキーワードのどれにもひっかかることはありません。
そして、ある時ひらめきました。
みなさん大きな石といえば何に使いますか?
僕が考えた答えは「墓石」です。
すぐに「竜宝 墓 画像」で検索し
検索された結果がこれです。

まあ、あくまで妄想です。
五重塔とか卒塔婆でしょう。でももっと近くで見たいと「動画」をしらべたら武田家にゆかりのある墓を巡っているかたの動画があり、その人のコメントに「縦にながいお墓ですね。他の武田家の墓にはみられない特徴です」というコメントが。
近くでみれば、同じ岩の組成かどうかがわかるはずです。
僕はこの墓のある場所
甲府の入明寺に向かいました。
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