2022年03月06日
検索 ふたたび「犀の角」を探して4 <泉小太郎伝説の実際(34)>
いままで述べたように、田沢神明宮に書かれた「天文の悪徒」は武田軍です。
武田軍がこの地を攻めました。
そして、それによって断絶した海野氏の娘と婚姻し武田家の次男が海野氏を引き継ぐ。
しかも竜宝と名乗って。
生まれつき盲目だったため(のちに判明するが田沢神明宮を攻めたあとすぐに失明)
武田信玄のあとを継ぐのは三男の勝頼が継ぐことになります。
その後海野治世、20年あまりで織田信長軍によって滅ぼされ、
ここで武田家は滅亡します。
ちなみに、武田の血が完全に途絶えたかというとそうではなく
実はこの竜宝のこどもが伊那地方に逃げのびて現在の武田氏の祖先となったということです。
「天文の頃、悪徒の用に石工 矢穴を掘りけども破ることあたはず即時に眼くらみて人の家へ入り死セリと云う」
この神明宮縁起に込められた一文は
武田竜宝のことを言っており
暗に武田はこの神明宮を壊滅させた祟りによって滅びたと言いたかったのかもしれません。
実際 この地の氏子としては、そう感じたでしょう。
さらにここまで判明すると一文の前半の『矢穴を掘りけども破ることあたはず』は、『戦乱に巻き込まれたがこの船石は残った。』傷ついた岩舟を見て自分たちの運命を重ねたのではないでしょうか。
「船石」つまり我々「ひかるの民」「安曇の民」は戦乱では決して破れない。という強い意志の表れでもあるようにも思えます。
そう思うとこの「船石」は、戦禍に残された 平和への希望をこめたモニュメントのようにも思えるのです。

泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら