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2022年03月28日

検索 信府統記2<泉小太郎伝説の実際(56)>

 泉小太郎伝説に関する部分はほんの一部であまり長い文でもないので、簡易訳にて載せます。文章が唐突なのは原文通りですのでご了承ください。
今後の参考とするために、人名や地名等に『』をつけさせていただきます。
また、後々の考証のために段落ごとに①②③とつけさせていただきます。

 安曇 筑摩両郡旧俗伝

 冒頭部 略

①人皇十二代景行天皇十二年までは、この辺の平地は皆、山々の沢から流れ落ちる水で湖でした。ここに『犀竜』がいた。また、これより東の『高梨』という池に『白竜王』というものがいて、二人は交わり子供を産んだ。『鉢伏山』で生まれた『日光泉小太郎』である。『放光寺』の山で成長した。その後、母の犀龍は自分の姿を恥じ、湖の中に隠れた。小太郎は母の行方を捜して、『熊倉下田』の奥の『尾入沢』というところで逢えました。犀龍は私は「『諏訪大明神 武南方富ノ命』の変わり身である。子孫繁栄のため現れました。おまえ私に乗ってこの湖を突破して水を落として平野とし、人里としなさい」小太郎、言われるがまま『尾入沢』で犀竜にのった。そのため今は『犀乗沢』という。『三清地』というところの大岩を突き破り、また『水内』の橋下の岩山を壊して千曲川の川筋を越後の国の海まで通した。これによりその場所を『のったり』という。このため、犀乗沢から下流から千曲川が落ち合う場所までを『犀川』という。

②その後、犀竜は白竜王を訪ねて『坂木の横吹』に訪ねて岩山に入る。小太郎は有明の里に帰って 今の『池田組十日市場』の『川会』というところに住んで、子孫繁栄しました。その後、白竜王も犀竜も川会に来て、白竜王は「私は日輪の精霊 すなわち大日如来の化身なり」と言い犀竜とともに今の『松川与一本木村西の山 仏崎』というところの岩山にはいり隠れる。
 
(ここまではわりとまとめられていますが、ここから先は文体も変わり寄せ集め感が満載ですので、省略しながら書きます)

③その後年月がたったのち 小太郎は「私は鉢伏権現の再誕です。この里の繁栄をまもる」そして仏崎の岩山に隠れ、のちに川会大明神の神社を建て、この霊を祀れ」といった。湖水を落として平野をつくって。。。。(とまた、しばらくふたたびおなじ開拓の話がかたられるため省略)

この権現の子どもを『泉の小次郎』と言い、生まれながら常人ではなく、岩壁を走り、水中にはいっても自由自在だった、そのため水中に入ってこの地を平地にする。。。。(と、ここからまたしばらく同じ開拓の話が語られて終わる)  

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Posted by 泉小太郎研究家 at 19:41Comments(0)泉小太郎伝説の実際