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2022年04月11日

検索 二つの「信濃日光」放光寺<泉小太郎伝説の実際(70)>


以前訪れた放光寺のたどった運命も「廃仏毀釈物語」の中にあります。

「信濃開拓の祖先として長野県中にその伝説を残し特に安筑平野を開発したと伝えられる日光泉小太郎の出生地が放光寺であると伝説されており、要するに当地方きっての霊場古刹を物語り、衆庶の信仰をあつめていたのであるが明治五年(1872年)に廃仏毀釈の難に遭って廃寺となり多くの寺宝を失った。」

その時の情景もかかれており、石仏などを放光寺の崖から落とし、崖下には多くの石仏などでゴロゴロしていたというので、徹底的に崩されたことを意味しています。
 
余談になりますが、放光寺のすぐ麓には「猿田彦神社」があります。泉小太郎は「犀の神」であり、田沢神明宮縁起によれば、中世には「塞の神」として猿田彦の化身とされていましたから、廃仏毀釈の際、放光寺の難を逃れるために作られた(分離された)神社かもしれませんし、もっと前からあったのであれば、放光寺の寺宝のいくつかはここに避難されているかもしれません。

猿田彦神社マップ 松本市

 

さらには、放光寺にあった寺宝のいくつかは土手から落とされた後
近隣の村に移されたことも考えられます。
ひょっとすると近隣の村々にある石仏、道祖神などはこの放光寺の崖から捨てられたものを移設したものかもしれないとも思います。

さて、前回の探索の際、放光寺が「信濃日光」とされており、その由来は「日光泉小太郎」の名にあるのではないかと考察しました。

その検索の中で、この地にもう一つ「信濃日光」とされ、信仰を集めていた「若澤寺(じゃくたくじ)」という寺があったことを知りました。それは、放光寺と同じように「戸田光則」の狂気的な廃仏毀釈により、今では廃墟、廃寺となっています。廃仏毀釈の要因の一つとなった当時の民衆暴動の地でもある「波田」にその寺はあります。


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Posted by 泉小太郎研究家 at 18:57Comments(0)泉小太郎伝説の実際