2022年03月31日
検索 信府統記5<泉小太郎伝説の実際(59)>
まずa)の「白竜王」ですが
白竜王の関連地である「高梨」も「坂木(坂城)」も
東信、北信地方を表しており
「高梨」は現在の須坂市
「坂木」は現在の坂城町です
「白竜王」というのも独特な固有名詞で
これがどのような意味をもつかは今の所不明です。
Ⅰ「白山信仰」の表象かもしれませんし
Ⅱ「白水郎(あま)」という文字によるものかもしれませんし
Ⅲ「白竜(ペーロン)」という長崎の祭りにもある乗り物などが由来しているかも
しれません。
また「白竜王」の存在としての表象は
Ⅰ 犀川を意図した「犀竜」に類して
千曲川を意図する「白竜王」が挙げられます
「高梨」「坂木」の地域的な関係性から考えると千曲川沿いと考えると筋が通りそうです。
Ⅱ前回述べたように
武田軍に対抗していた村上氏、高梨氏と関係するものである可能性もあります。
Ⅲ仁科濫觴記としては九頭子という後の九頭龍信仰(戸隠信仰)が「白竜王」の位置付けですので
「戸隠」を示しているかもしれません
もし、泉小太郎の開発が古代であれば
「白竜王」という「千曲川沿いの文化」の流入の伝承化とも考えられますし
あるいは、戦乱期の伝承とみれば
「白竜王」は武田軍の抵抗勢力として存在していた「高梨氏」や「村上氏」をあげることができるかもしれません。
この考察だけでも 筋のある楽しい歴史探究になりますが
これ以上の考察は
のちの探究家に譲りたいとおもいます。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
白竜王の関連地である「高梨」も「坂木(坂城)」も
東信、北信地方を表しており
「高梨」は現在の須坂市
「坂木」は現在の坂城町です
「白竜王」というのも独特な固有名詞で
これがどのような意味をもつかは今の所不明です。
Ⅰ「白山信仰」の表象かもしれませんし
Ⅱ「白水郎(あま)」という文字によるものかもしれませんし
Ⅲ「白竜(ペーロン)」という長崎の祭りにもある乗り物などが由来しているかも
しれません。
また「白竜王」の存在としての表象は
Ⅰ 犀川を意図した「犀竜」に類して
千曲川を意図する「白竜王」が挙げられます
「高梨」「坂木」の地域的な関係性から考えると千曲川沿いと考えると筋が通りそうです。
Ⅱ前回述べたように
武田軍に対抗していた村上氏、高梨氏と関係するものである可能性もあります。
Ⅲ仁科濫觴記としては九頭子という後の九頭龍信仰(戸隠信仰)が「白竜王」の位置付けですので
「戸隠」を示しているかもしれません
もし、泉小太郎の開発が古代であれば
「白竜王」という「千曲川沿いの文化」の流入の伝承化とも考えられますし
あるいは、戦乱期の伝承とみれば
「白竜王」は武田軍の抵抗勢力として存在していた「高梨氏」や「村上氏」をあげることができるかもしれません。
この考察だけでも 筋のある楽しい歴史探究になりますが
これ以上の考察は
のちの探究家に譲りたいとおもいます。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月30日
検索 信府統記4<泉小太郎伝説の実際(58)>
信府統記の中で、いくつかの地所と、登場人物があらわれてきます。
今までの探求の中では、ここに出てくるどこも探求してきませんでした。
なぜなら信府統記はでたらめ伝承だとおもっていましたので、
まったくもって無視をしていたというのが本当の所です。
一度、通常の泉小太郎伝説の探索者に立ち戻って、調べ直してみる必要があると判断し
ました。
キーワードとして列挙するのであれば
a)「白竜王」
「白竜王 大日如来の化身」
「東の高梨に住む」
「白竜王を訪ねて 坂木の横吹を尋ねる」
b)「犀竜」
「犀竜 諏訪大社の化身」
「仏崎に隠れ住む」
c)「日光泉小太郎」
「白竜王と犀竜の交わりにて生まれた子」
「鉢伏山で生まれる」
「放光寺にて育つ」
「池田町 十日市場の川会に住み子孫繁栄する」
地名としてあげるのであれば
e)「仏崎」
「放光寺」(ほうこうじ)
「鉢伏山」(はちぶせやま)
「川会」(かわい)
が挙げられます
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
今までの探求の中では、ここに出てくるどこも探求してきませんでした。
なぜなら信府統記はでたらめ伝承だとおもっていましたので、
まったくもって無視をしていたというのが本当の所です。
一度、通常の泉小太郎伝説の探索者に立ち戻って、調べ直してみる必要があると判断し
ました。
キーワードとして列挙するのであれば
a)「白竜王」
「白竜王 大日如来の化身」
「東の高梨に住む」
「白竜王を訪ねて 坂木の横吹を尋ねる」
b)「犀竜」
「犀竜 諏訪大社の化身」
「仏崎に隠れ住む」
c)「日光泉小太郎」
「白竜王と犀竜の交わりにて生まれた子」
「鉢伏山で生まれる」
「放光寺にて育つ」
「池田町 十日市場の川会に住み子孫繁栄する」
地名としてあげるのであれば
e)「仏崎」
「放光寺」(ほうこうじ)
「鉢伏山」(はちぶせやま)
「川会」(かわい)
が挙げられます
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月29日
検索 信府統記3<泉小太郎伝説の実際(57)>
信府統記の旧俗伝に語られる泉小太郎伝説ですが
段落の①②③で語られる内容が大きく変わります
①は現在よく知られる泉小太郎伝説といっていいでしょう。
犀竜と白竜王が出会って泉小太郎が生まれ
湖を破って人里とする物語です。
この話は各地に語られており
泉小太郎伝説の原型と言っていいでしょう。
②はその後の話で
「坂木の横吹」で岩山に入り
「川会」で子孫繁栄し
「仏崎」でも岩山に入る
という内容です。
各所にある泉小太郎伝説の中で
①以外の内容のものが口伝として残っていたものを組み合わせて
編入したものとも考えられますが
仏崎で感じたように
御神体移動の伝承化としても考えられます。
「坂木」は今の「坂城町」であり、
武田軍がこの地を攻めている時代に
唯一武田軍を打ち破った「村上氏」の拠点でした。
そのため「白竜王を訪ねて」という表現が
村上氏を頼っているという暗示かもしれません。
さらに①で白竜王は「高梨」に住むとありますから
現在の須坂市「高梨」にいた「高梨氏」を暗示しているかもしれません
村上氏と高梨氏は
まさにこの時代 対武田として連合を組んでいますので
この「坂木の横吹を訪ねて」は時代確定すらできるかもしれません。
傍証ですが「坂木の横吹」のすぐ下には
村上氏の居館があり「満泉寺」と泉が着いた寺があります。
さてその坂木の村上氏も武田軍によって滅ぼされますので
そのタイミングで川会にきたか
仏崎に来たかしたのではないかと考えます。
この信府統記についての検証も
どなたも行っていないのが事実ですので
どなたかきちんと検証をすべきだと思います。
③については「小次郎」と名前も変わっており
おそらく①の伝説が年代を下るにつれ
物語化していたものを載せたのではないかと考えます。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
段落の①②③で語られる内容が大きく変わります
①は現在よく知られる泉小太郎伝説といっていいでしょう。
犀竜と白竜王が出会って泉小太郎が生まれ
湖を破って人里とする物語です。
この話は各地に語られており
泉小太郎伝説の原型と言っていいでしょう。
②はその後の話で
「坂木の横吹」で岩山に入り
「川会」で子孫繁栄し
「仏崎」でも岩山に入る
という内容です。
各所にある泉小太郎伝説の中で
①以外の内容のものが口伝として残っていたものを組み合わせて
編入したものとも考えられますが
仏崎で感じたように
御神体移動の伝承化としても考えられます。
「坂木」は今の「坂城町」であり、
武田軍がこの地を攻めている時代に
唯一武田軍を打ち破った「村上氏」の拠点でした。
そのため「白竜王を訪ねて」という表現が
村上氏を頼っているという暗示かもしれません。
さらに①で白竜王は「高梨」に住むとありますから
現在の須坂市「高梨」にいた「高梨氏」を暗示しているかもしれません
村上氏と高梨氏は
まさにこの時代 対武田として連合を組んでいますので
この「坂木の横吹を訪ねて」は時代確定すらできるかもしれません。
傍証ですが「坂木の横吹」のすぐ下には
村上氏の居館があり「満泉寺」と泉が着いた寺があります。
さてその坂木の村上氏も武田軍によって滅ぼされますので
そのタイミングで川会にきたか
仏崎に来たかしたのではないかと考えます。
この信府統記についての検証も
どなたも行っていないのが事実ですので
どなたかきちんと検証をすべきだと思います。
③については「小次郎」と名前も変わっており
おそらく①の伝説が年代を下るにつれ
物語化していたものを載せたのではないかと考えます。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月28日
検索 信府統記2<泉小太郎伝説の実際(56)>
泉小太郎伝説に関する部分はほんの一部であまり長い文でもないので、簡易訳にて載せます。文章が唐突なのは原文通りですのでご了承ください。
今後の参考とするために、人名や地名等に『』をつけさせていただきます。
また、後々の考証のために段落ごとに①②③とつけさせていただきます。
安曇 筑摩両郡旧俗伝
冒頭部 略
①人皇十二代景行天皇十二年までは、この辺の平地は皆、山々の沢から流れ落ちる水で湖でした。ここに『犀竜』がいた。また、これより東の『高梨』という池に『白竜王』というものがいて、二人は交わり子供を産んだ。『鉢伏山』で生まれた『日光泉小太郎』である。『放光寺』の山で成長した。その後、母の犀龍は自分の姿を恥じ、湖の中に隠れた。小太郎は母の行方を捜して、『熊倉下田』の奥の『尾入沢』というところで逢えました。犀龍は私は「『諏訪大明神 武南方富ノ命』の変わり身である。子孫繁栄のため現れました。おまえ私に乗ってこの湖を突破して水を落として平野とし、人里としなさい」小太郎、言われるがまま『尾入沢』で犀竜にのった。そのため今は『犀乗沢』という。『三清地』というところの大岩を突き破り、また『水内』の橋下の岩山を壊して千曲川の川筋を越後の国の海まで通した。これによりその場所を『のったり』という。このため、犀乗沢から下流から千曲川が落ち合う場所までを『犀川』という。
②その後、犀竜は白竜王を訪ねて『坂木の横吹』に訪ねて岩山に入る。小太郎は有明の里に帰って 今の『池田組十日市場』の『川会』というところに住んで、子孫繁栄しました。その後、白竜王も犀竜も川会に来て、白竜王は「私は日輪の精霊 すなわち大日如来の化身なり」と言い犀竜とともに今の『松川与一本木村西の山 仏崎』というところの岩山にはいり隠れる。
(ここまではわりとまとめられていますが、ここから先は文体も変わり寄せ集め感が満載ですので、省略しながら書きます)
③その後年月がたったのち 小太郎は「私は鉢伏権現の再誕です。この里の繁栄をまもる」そして仏崎の岩山に隠れ、のちに川会大明神の神社を建て、この霊を祀れ」といった。湖水を落として平野をつくって。。。。(とまた、しばらくふたたびおなじ開拓の話がかたられるため省略)
この権現の子どもを『泉の小次郎』と言い、生まれながら常人ではなく、岩壁を走り、水中にはいっても自由自在だった、そのため水中に入ってこの地を平地にする。。。。(と、ここからまたしばらく同じ開拓の話が語られて終わる)
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
今後の参考とするために、人名や地名等に『』をつけさせていただきます。
また、後々の考証のために段落ごとに①②③とつけさせていただきます。
安曇 筑摩両郡旧俗伝
冒頭部 略
①人皇十二代景行天皇十二年までは、この辺の平地は皆、山々の沢から流れ落ちる水で湖でした。ここに『犀竜』がいた。また、これより東の『高梨』という池に『白竜王』というものがいて、二人は交わり子供を産んだ。『鉢伏山』で生まれた『日光泉小太郎』である。『放光寺』の山で成長した。その後、母の犀龍は自分の姿を恥じ、湖の中に隠れた。小太郎は母の行方を捜して、『熊倉下田』の奥の『尾入沢』というところで逢えました。犀龍は私は「『諏訪大明神 武南方富ノ命』の変わり身である。子孫繁栄のため現れました。おまえ私に乗ってこの湖を突破して水を落として平野とし、人里としなさい」小太郎、言われるがまま『尾入沢』で犀竜にのった。そのため今は『犀乗沢』という。『三清地』というところの大岩を突き破り、また『水内』の橋下の岩山を壊して千曲川の川筋を越後の国の海まで通した。これによりその場所を『のったり』という。このため、犀乗沢から下流から千曲川が落ち合う場所までを『犀川』という。
②その後、犀竜は白竜王を訪ねて『坂木の横吹』に訪ねて岩山に入る。小太郎は有明の里に帰って 今の『池田組十日市場』の『川会』というところに住んで、子孫繁栄しました。その後、白竜王も犀竜も川会に来て、白竜王は「私は日輪の精霊 すなわち大日如来の化身なり」と言い犀竜とともに今の『松川与一本木村西の山 仏崎』というところの岩山にはいり隠れる。
(ここまではわりとまとめられていますが、ここから先は文体も変わり寄せ集め感が満載ですので、省略しながら書きます)
③その後年月がたったのち 小太郎は「私は鉢伏権現の再誕です。この里の繁栄をまもる」そして仏崎の岩山に隠れ、のちに川会大明神の神社を建て、この霊を祀れ」といった。湖水を落として平野をつくって。。。。(とまた、しばらくふたたびおなじ開拓の話がかたられるため省略)
この権現の子どもを『泉の小次郎』と言い、生まれながら常人ではなく、岩壁を走り、水中にはいっても自由自在だった、そのため水中に入ってこの地を平地にする。。。。(と、ここからまたしばらく同じ開拓の話が語られて終わる)
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月27日
検索 信府統記1<泉小太郎伝説の実際(55)>
信府統記(しんぷとうき)は江戸中期の前半に作られたもので
当時の松本城主の命令で、各地に残る逸話を集めたものです。

その中で泉小太郎の物語は旧俗伝のなかに収められています。
これらは、戦乱の世ののち、各地を回って断片的に残されている伝承や記録をあつめた記録の集合といった形をとっており、また、その断片も、集合するなかでまとめられたり、重複をけずったりしたのだと思うのですが、一読しても意味がわからない内容になっています。おそらく、散り散りになった記録を集めたためこのような難解な文章となってしまったのだと推察します。
信府統記 現代語訳意訳 泉小太郎関係はこちらでご確認ください
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
当時の松本城主の命令で、各地に残る逸話を集めたものです。

その中で泉小太郎の物語は旧俗伝のなかに収められています。
これらは、戦乱の世ののち、各地を回って断片的に残されている伝承や記録をあつめた記録の集合といった形をとっており、また、その断片も、集合するなかでまとめられたり、重複をけずったりしたのだと思うのですが、一読しても意味がわからない内容になっています。おそらく、散り散りになった記録を集めたためこのような難解な文章となってしまったのだと推察します。
信府統記 現代語訳意訳 泉小太郎関係はこちらでご確認ください
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月26日
検索 仏崎観音寺6<泉小太郎伝説の実際(54)>
仏崎観音寺のおかみさんもしくは住職の娘さんだとおもうのですが
いくつか質問をさせていただきました。
そのかたは、(たしか)嫁いできたので自分はこの泉小太郎については
詳しくはないけれど住職は詳しいようなことをおっしゃっていました。
可能であれば住職に今一度インタビューをする必要があるかと思いますが
コロナでその機会に恵まれません。
「この洞穴の中に、竜にかかわる何かありませんでしたか?
長い石もしくは青銅器か ツノっぽいものだと思うんですが」
と私が尋ねると
「昔はみんな登って入ったりしていたらしいけれど
観音様か何かがあったと言っていたけれどそれらしいものはなかったはずです」
「詳しい調査を役場の田中さん(?)が調べていたので
そちらで確認してもらえば一覧があるはず」と教えてくれました。
「役場というのは、松川?大町?どちらですか」と聞くと
大町です」ということでした。
こちらも一度問い合わせする必要があるかと思いますが
まだ出来ていません。
僕の中では「それらしいものはなかった」という言葉にショックを受けつつも
境内にあった武田軍の進軍を受けたという文章から
ここに田沢神明宮から避難してきて隠された「犀の角」は
「強奪された」か、あるいはまたどこかに「逃がしたか 移したか」
という予測をたてたのでした。
後日、境内にあった冊子(写真にて確認)を読んでみると
最後に署名されており、「昭和五十八年 泉仏崎 降旗剛夫」 とあります。
どのようなかたかわかりませんが、郷土の歴史を探求されたかただと思います。(あるいはこのお寺の住職かもしれません)
また、この地区は「泉」ということもわかりました。
泉小太郎との関係地である傍証でしょう。
内容を読んでみると、武田軍による略奪の記述であったり
ここの洞穴には、泉小太郎を模した石仏があったということがわかります。
どのようなものかわかりませんが
泉小太郎信仰がこの地にあったことがわかりますし
この石仏は田沢神明宮か、他の場所から移されたものかもしれません。
今回出会ったおかみさんによると
「泉小太郎研究者」が、時々この寺に参拝するらしく
しかも、研究者の間ではここはメジャーな場所だということでした。
しかし、僕はまったくこの仏崎観音寺のことを知りませんでした。
(あるいは気にもしていませんでした)
他の泉小太郎研究者とアクセスルートが違うからでしょう。
他のかたはおそらく信府統記を基準とした探し方をしているのだと考えられます。
そんなメジャー地すら知らなかった自分を反省し
「信府統記」を一度リサーチしてみなくてはいけないのでは」と思い
信府統記の関連地を探ることにしたのです。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
いくつか質問をさせていただきました。
そのかたは、(たしか)嫁いできたので自分はこの泉小太郎については
詳しくはないけれど住職は詳しいようなことをおっしゃっていました。
可能であれば住職に今一度インタビューをする必要があるかと思いますが
コロナでその機会に恵まれません。
「この洞穴の中に、竜にかかわる何かありませんでしたか?
長い石もしくは青銅器か ツノっぽいものだと思うんですが」
と私が尋ねると
「昔はみんな登って入ったりしていたらしいけれど
観音様か何かがあったと言っていたけれどそれらしいものはなかったはずです」
「詳しい調査を役場の田中さん(?)が調べていたので
そちらで確認してもらえば一覧があるはず」と教えてくれました。
「役場というのは、松川?大町?どちらですか」と聞くと
大町です」ということでした。
こちらも一度問い合わせする必要があるかと思いますが
まだ出来ていません。
僕の中では「それらしいものはなかった」という言葉にショックを受けつつも
境内にあった武田軍の進軍を受けたという文章から
ここに田沢神明宮から避難してきて隠された「犀の角」は
「強奪された」か、あるいはまたどこかに「逃がしたか 移したか」
という予測をたてたのでした。
後日、境内にあった冊子(写真にて確認)を読んでみると
最後に署名されており、「昭和五十八年 泉仏崎 降旗剛夫」 とあります。
どのようなかたかわかりませんが、郷土の歴史を探求されたかただと思います。(あるいはこのお寺の住職かもしれません)
また、この地区は「泉」ということもわかりました。
泉小太郎との関係地である傍証でしょう。
内容を読んでみると、武田軍による略奪の記述であったり
ここの洞穴には、泉小太郎を模した石仏があったということがわかります。
どのようなものかわかりませんが
泉小太郎信仰がこの地にあったことがわかりますし
この石仏は田沢神明宮か、他の場所から移されたものかもしれません。
今回出会ったおかみさんによると
「泉小太郎研究者」が、時々この寺に参拝するらしく
しかも、研究者の間ではここはメジャーな場所だということでした。
しかし、僕はまったくこの仏崎観音寺のことを知りませんでした。
(あるいは気にもしていませんでした)
他の泉小太郎研究者とアクセスルートが違うからでしょう。
他のかたはおそらく信府統記を基準とした探し方をしているのだと考えられます。
そんなメジャー地すら知らなかった自分を反省し
「信府統記」を一度リサーチしてみなくてはいけないのでは」と思い
信府統記の関連地を探ることにしたのです。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月25日
検索 仏崎観音寺5<泉小太郎伝説の実際(53)>
「犀の角」はここに避難していたのかもしれない
あたりを探しますと
たしかに宝物を隠すには絶好の洞穴があるのです。
のちのち調べて判明しますが信府統記の記述にある
「仏崎の岩穴に隠れる」の岩穴がこれです。
少しわかりにくいですが急勾配の階段を登った先に洞穴が見えます。

柵の前でしばらく中を覗こうと頑張ってみましたが
立ち入り禁止の札に阻まれ帰ることにしました。
駐車場に戻ると、先ほど会ったおばちゃん達が
完全に閉じきった「社務所」のようなところから出てきました。
どうやらトイレを借りるためにこの寺の住職の住居まで行き
社務所を開けてもらったらしいのです。
すると、その後ろから、社務所の戸締りをし終えたこのお寺の住職の奥さんか
娘さんかと思われるかたが出てきたのです。
あきらかに困ったような顔をしていましたが、それでもおばちゃんたちに、
「またお参りください」といって帰ろうとしていました。
まさに千載一遇とはこのことです。
僕はそのおかみさんを呼び止めました。
「すみません!」
おかみさんは怪訝な顔をして
「トイレですか?」と、言いました。(笑)
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
あたりを探しますと
たしかに宝物を隠すには絶好の洞穴があるのです。
のちのち調べて判明しますが信府統記の記述にある
「仏崎の岩穴に隠れる」の岩穴がこれです。
少しわかりにくいですが急勾配の階段を登った先に洞穴が見えます。

柵の前でしばらく中を覗こうと頑張ってみましたが
立ち入り禁止の札に阻まれ帰ることにしました。
駐車場に戻ると、先ほど会ったおばちゃん達が
完全に閉じきった「社務所」のようなところから出てきました。
どうやらトイレを借りるためにこの寺の住職の住居まで行き
社務所を開けてもらったらしいのです。
すると、その後ろから、社務所の戸締りをし終えたこのお寺の住職の奥さんか
娘さんかと思われるかたが出てきたのです。
あきらかに困ったような顔をしていましたが、それでもおばちゃんたちに、
「またお参りください」といって帰ろうとしていました。
まさに千載一遇とはこのことです。
僕はそのおかみさんを呼び止めました。
「すみません!」
おかみさんは怪訝な顔をして
「トイレですか?」と、言いました。(笑)
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月24日
検索 仏崎観音寺4<泉小太郎伝説の実際(52)>
仏崎観音寺に犀龍と泉小太郎が「隠れた」という
伝承に違和感を感じながら境内を探していると
賽銭箱の近くにこの地域の簡単な歴史が書かれた冊子がおいてありました。

「仏崎観音寺の周辺」
最後に署名されており、「昭和五十八年 泉仏崎 降旗剛夫」 とあります。
どのようなかたかわかりませんが、郷土の歴史を探求されたかただと思います。(あるいはこのお寺の住職かもしれません)
「仏崎観音寺の周辺」では、この地も武田軍に略奪に遭い焼失し宝物縁起等全てが灰塵と化したとあります。
前回までの探索で、泉小太郎伝説と武田軍の繋がりを知った僕としては偶然だとは思えない出会いでした。
天文の時代に田沢神明宮をはじめ安曇野一帯を滅ぼした武田軍はこの地まで攻めてきていたのです。
この時ひらめくことがありました。
犀竜が仏崎に隠れ住むという伝承がここにはありますが
これはひょっとすると
泉小太郎や犀竜が隠れたのは古代ではなく
戦国時代なのではないかと思ったのです。
例えば
戦国時代、武田軍の侵略を危惧した田沢神明宮の関係者
もしくは泉小太郎信者は
武田軍の侵略を避けるために
一時的に御神体である「犀の広鉾(さいのひろほこ)つまり犀竜」を
安曇野のなかでは、はるか北にあたるこの仏崎観音寺に移したのではないのだろうか
そして、それが江戸時代の伝承として
「泉小太郎と犀龍が隠れた」という伝承になったのではないかと推論してみました。
そういった戦国時代の「御神体移動」が
江戸時代あたりに伝承化していたとしてもおかしくありません。
僕は、なくなったと思っていた犀の角が
ひょっとしたらここにあるかもしれないと思い
いてもたってもいられなくなりました。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
伝承に違和感を感じながら境内を探していると
賽銭箱の近くにこの地域の簡単な歴史が書かれた冊子がおいてありました。

「仏崎観音寺の周辺」
最後に署名されており、「昭和五十八年 泉仏崎 降旗剛夫」 とあります。
どのようなかたかわかりませんが、郷土の歴史を探求されたかただと思います。(あるいはこのお寺の住職かもしれません)
「仏崎観音寺の周辺」では、この地も武田軍に略奪に遭い焼失し宝物縁起等全てが灰塵と化したとあります。
前回までの探索で、泉小太郎伝説と武田軍の繋がりを知った僕としては偶然だとは思えない出会いでした。
天文の時代に田沢神明宮をはじめ安曇野一帯を滅ぼした武田軍はこの地まで攻めてきていたのです。
この時ひらめくことがありました。
犀竜が仏崎に隠れ住むという伝承がここにはありますが
これはひょっとすると
泉小太郎や犀竜が隠れたのは古代ではなく
戦国時代なのではないかと思ったのです。
例えば
戦国時代、武田軍の侵略を危惧した田沢神明宮の関係者
もしくは泉小太郎信者は
武田軍の侵略を避けるために
一時的に御神体である「犀の広鉾(さいのひろほこ)つまり犀竜」を
安曇野のなかでは、はるか北にあたるこの仏崎観音寺に移したのではないのだろうか
そして、それが江戸時代の伝承として
「泉小太郎と犀龍が隠れた」という伝承になったのではないかと推論してみました。
そういった戦国時代の「御神体移動」が
江戸時代あたりに伝承化していたとしてもおかしくありません。
僕は、なくなったと思っていた犀の角が
ひょっとしたらここにあるかもしれないと思い
いてもたってもいられなくなりました。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月24日
検索 仏崎観音寺3 <泉小太郎伝説の実際(51)>
仏崎観音寺に迷い込んだその日は
県外の観光客(?)と思われるおばちゃん(関西人?)が2人居て
僕が境内を散策していると
「お手洗い近くにないかしら」と話しかけてきました。
「いえ、僕も、ここ初めてで」
「そう、コンビニも近くにないわよね」
「ええ、ここら辺は。車でしばらく行けばあると思いますが」
などと、どうでもいい話をして別れを告げ、興奮するなかで探索を開始しました。
鬱蒼とした杉林に囲まれて
整備事業中なのか土が盛られたり材木が置かれたりしていました。

奥に入っていくと、本堂があります。
泉小太郎の何かがあるのかと思って探してみると
早速、泉小太郎の像が。
前髪ぱっつんのおかっぱで、しかも横乗り。
かわいい(笑)


伝承としては泉小太郎、もしくはその母竜がこの寺にある洞穴に隠れ住んだということです。
僕の知る限り
仁科濫觴記(にしならんしょうき)には
泉小太郎が隠れ住むという理由が見当たらないので
別の文献にある内容だと考えました。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
県外の観光客(?)と思われるおばちゃん(関西人?)が2人居て
僕が境内を散策していると
「お手洗い近くにないかしら」と話しかけてきました。
「いえ、僕も、ここ初めてで」
「そう、コンビニも近くにないわよね」
「ええ、ここら辺は。車でしばらく行けばあると思いますが」
などと、どうでもいい話をして別れを告げ、興奮するなかで探索を開始しました。
鬱蒼とした杉林に囲まれて
整備事業中なのか土が盛られたり材木が置かれたりしていました。

奥に入っていくと、本堂があります。
泉小太郎の何かがあるのかと思って探してみると
早速、泉小太郎の像が。
前髪ぱっつんのおかっぱで、しかも横乗り。
かわいい(笑)


伝承としては泉小太郎、もしくはその母竜がこの寺にある洞穴に隠れ住んだということです。
僕の知る限り
仁科濫觴記(にしならんしょうき)には
泉小太郎が隠れ住むという理由が見当たらないので
別の文献にある内容だと考えました。
泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
2022年03月23日
検索 仏崎観音寺2 <泉小太郎伝説の実際(50)>
道に迷い、行き止まりの場所に
この仏崎観音寺(ほとけざきかんのんじ)があったのです。
仏崎観音寺 マップ
この発見は後から考えても異常で
仏崎観音寺には
ここに行こうとして探さない限り
行けるはずのない場所にあるのです。
道に迷ってここにたどり着くことの偶然性は
もう必然としか思えない出会いでした。
(一度ここに行ってみていただきたい。そうすればこのことがどれほどの偶然か分かります)
確かにこの近くの幹線道路にかかる大橋には泉小太郎の銅像が付いていて
そこを通過するたびに何か関係のある場所なのか?
などと思っていたのですけれど
その銅像が立つ要因になったのはこの仏崎観音寺でした。

泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら
この仏崎観音寺(ほとけざきかんのんじ)があったのです。
仏崎観音寺 マップ
この発見は後から考えても異常で
仏崎観音寺には
ここに行こうとして探さない限り
行けるはずのない場所にあるのです。
道に迷ってここにたどり着くことの偶然性は
もう必然としか思えない出会いでした。
(一度ここに行ってみていただきたい。そうすればこのことがどれほどの偶然か分かります)
確かにこの近くの幹線道路にかかる大橋には泉小太郎の銅像が付いていて
そこを通過するたびに何か関係のある場所なのか?
などと思っていたのですけれど
その銅像が立つ要因になったのはこの仏崎観音寺でした。

泉小太郎伝説の実際を最初から読む
泉小太郎伝説を調べまくるの 目次はこちら